資治通鑑晉紀二十六 烈宗孝武皇帝 太元四年 379年

正月 前秦、襄陽総攻撃へ

  • 晋では大赦が行われた。
  • 苻丕らは苻堅の厳命に恐れ、諸軍に襄陽への総攻撃を命じた。
  • 苻堅自身も襄陽出征を考え、陽平公苻融に関東六州の兵を寿春へ集めさせ、梁熙の河西兵を後詰めにしようとした。
  • しかし苻融は、襄陽一城のために天下の兵を動かし、しかも皇帝自ら親征するのは過大で、値の高い宝珠で小鳥を撃つようなものだと諫めた。
  • 梁熙もまた、江南は険阻で守りやすく攻めにくく、もし江表を狙うにせよ方面軍に任せるべきで、漢の光武帝や晋の武帝も自ら戦場で太鼓を打ったわけではないと諫めた。
  • 苻堅は一度は思いとどまった。

二月 襄陽陥落

  • 晋は劉波に八千を与えて襄陽救援に向かわせたが、劉波は前秦軍を恐れて進めなかった。
  • 朱序はしばしば出撃して秦軍を破ったが、追撃ののち備えを怠った。
  • そこへ襄陽督護の李伯護が密かに子を秦陣へ送り、内応を約した。
  • 苻丕はこれを受けて総攻撃し、戊午に襄陽を陥れた。朱序は捕えられて長安へ送られた。
  • 苻堅は朱序がよく節を守ったとして度支尚書に任じたが、李伯護は不忠として斬った。
  • 慕容越は順陽を落として太守の丁穆を捕えたが、丁穆は仕官を拒み、屈しなかった。
  • 苻堅は梁成を荆州刺史として襄陽に一万で駐屯させ、現地の有力者を礼遇して臣従させようとした。
  • 桓冲は襄陽失陥の責を負って辞職を願ったが許されず、劉波のみ罷免されたのち、ほどなく復職した。

彭城・淮南方面の攻防

  • 前秦は張蚝を并州刺史にした。
  • 謝玄は一万余を率いて彭城救援に赴いたが、城内との連絡が絶たれていた。
  • 部曲将の田泓が、水にもぐって潜行し彭城へ入る任を請い、実行した。
  • 田泓は前秦軍に捕えられたが、賄賂で晋軍敗北の偽情報を流すよう迫られながら、城中へ向けて逆に「晋軍はまもなく来る」と告げて守兵を励ましたため、殺された。
  • 彭超は留城に輜重を置いていたが、謝玄が何謙をそちらへ向かわせると、彭超は彭城包囲を解いて退いた。
  • 戴逯は彭城兵を率いて何謙と合流し、前秦は彭城を占領したうえ、徐褒を守将として残した。
  • さらに南下して盱眙を攻め、俱難は淮陰も取って邵保を駐屯させた。

三月 晋の倹約令と巴中での失敗

  • 朝廷は辺境の緊迫と不作を理由に、御用・九親の供給・官吏の俸禄を削減し、軍事以外の費用を節減する詔を出した。
  • 毛虎生に三万を授けて巴中へ進ませ、魏興を救わせたが、前鋒の趙福らが巴西で張紹らに敗れ、七千余を失ったため、毛虎生は巴東へ退いた。
  • 蜀人の李烏は二万を集めて成都を囲み、これに呼応したが、苻堅は呂光を送って討ち滅ぼした。

四月 魏興陥落

  • 韋鍾が魏興を攻め落とした。
  • 吉挹は自刃しようとしたが止められ、その後も口を開かず食を絶って死んだ。
  • 苻堅は、周虓・丁穆に続いて吉挹まで忠死したのを見て、晋には忠臣が多いと感嘆した。
  • 吉挹の参軍・史頴はその遺表を携えて帰り、朝廷は吉挹に益州刺史を贈った。

五月から六月 謝玄、淮南で前秦を撃退

  • 毛当・王顕が襄陽から東進して俱難・彭超と合流し、盱眙を落として毛璪之を捕えた。
  • さらに前秦軍六万が三阿の田洛を包囲すると、朝廷は震え、謝石を舟師とともに涂中に、毛安之ら四万を堂邑に置いた。
  • だが毛当・毛盛の騎兵が堂邑を急襲すると、毛安之らは潰走した。
  • 謝玄は広陵から三阿を救い、丙子に俱難・彭超を破って盱眙へ退かせた。
  • 六月、謝玄と田洛は五万で盱眙を攻め、俱難・彭超を再び破って淮陰へ追い込んだ。
  • 謝玄は何謙らの舟師に潮に乗じて淮水の橋を夜襲・焼却させ、邵保は戦死、俱難・彭超は淮北へ退いた。
  • さらに君川で追撃して大勝し、俱難・彭超は身一つで逃れた。
  • 謝玄は広陵に凱旋し、冠軍将軍・徐州刺史を加えられた。

七月 前秦、敗将を処分

  • 苻堅は敗報を聞いて激怒し、彭超を檻車で召して廷尉へ下し、彭超は自殺した。
  • 俱難は爵位を削られて庶民とされ、毛当を徐州刺史として彭城に、毛盛を兖州刺史として湖陸に、王顕を揚州刺史として下邳に置いた。

謝安の宰相政治

  • 謝安は宰相として、前秦のたび重なる侵攻や辺境での敗報に対しても、常に落ち着きを失わなかった。
  • 政治では大綱を押さえることに努め、細事にこだわらなかったため、人々は王導になぞらえ、しかもその文雅は王導以上だと評した。

八月 王藴の転任

  • 王藴は尚書僕射となったが、まもなく丹陽尹に移った。
  • 外戚として中央にとどまることを好まず、再び外任を求めたため、浙江東五郡都督・會稽内史に任じられた。
  • この年、前秦では大飢饉が起きた。