資治通鑑晉紀二十六 烈宗孝武皇帝 太元三年 378年
二月 新宮造営と前秦の襄陽攻略開始
- 新宮の造営が始まり、帝は一時的に會稽王の邸に移った。
- 前秦では苻堅が、長楽公苻丕・茍萇・慕容暐ら七万、楊安の樊鄧の軍、石越の精騎一万、慕容垂・姚萇の五万、茍池・毛当・王顕の四万をそれぞれ別道から進め、襄陽を総攻撃させた。
四月 秦軍、漢水を渡って襄陽を圧迫
- 前秦軍が沔北に到着したとき、朱序は秦軍に船がないので安心していた。
- ところが石越が五千騎を率いて漢水を浮渡し、外郭を奪って船百余艘を得たため、秦軍主力も渡河できるようになった。
- 朱序の母・韓氏は、かねて西北隅の守りが弱いと見て、女たちを率いて内側に斜めの補助城壁を築いていた。
- 秦軍が攻めると案の定その箇所が崩れ、守備側は新城へ移った。この新城は「夫人城」と呼ばれた。
- 桓冲は上明に七万を擁していたが、前秦軍の強さを恐れて進軍できなかった。
- 苻丕は急攻を望んだが、茍萇は住民を許洛へ移して輸送路と援軍を断てば、袋の鳥のように落とせると進言し、苻丕はこれに従った。
- 慕容垂は南陽を落として太守の鄭裔を捕え、襄陽城下の軍に合流した。
七月 新宮完成
七月以降 前秦、淮南方面へも侵攻
- 前秦の彭超は、彭城の戴逯を攻めるとともに、別働隊で淮南諸城を攻め、襄陽攻略を支援すべきだと進言した。
- 苻堅はこれを許し、俱難・毛盛・邵保ら七万を淮陽・盱眙方面に送った。
- 八月、彭超は彭城を攻撃し、晋では毛虎生に五万を与えて姑孰に置き、防戦の構えを取らせた。
- さらに前秦の梁州刺史・韋鍾は、西城の吉挹を包囲した。
九月 苻堅の酒戒
- 苻堅は群臣と酒宴を開き、朱肜を酒の監督役にした。
- 秘書侍郎の趙整は酒の効用と害を歌う詩を作り、酒が殷・夏を滅ぼした故事を挙げて戒めた。
- 苻堅はこれを喜び、書き記して酒戒とし、以後は群臣との宴も礼にかなう範囲に抑えた。
冬 西域からの献上と巴西の叛乱
- 涼州刺史の梁熙は西域に使者を送り、前秦の威徳を示した。
- 大宛が汗血馬を献じたが、苻堅は漢の文帝を慕うとして受け取らず、詩を作らせて返した。
- 巴西の趙宝が涼州で兵を挙げ、晋の西蛮校尉・巴郡太守を称した。蜀地の人々に晋を思う心が残っていたことを示す。
- また、北海公苻重が洛陽で反乱を企てたが、長史の呂光がこれを捕えて長安へ送った。苻堅は死罪を赦し、邸に退かせた。
十二月 襄陽攻囲長期化への苻堅の叱責
- 御史中丞の李柔は、苻丕らが大軍を率いて小城一つを長く攻めながら莫大な費用ばかりかけ、成果がないと弾劾した。
- 苻堅は、本来なら処罰に値するとしながらも、ここで軍を空しく帰すことはできないとして赦し、黄門侍郎の韋華を派遣して厳しく叱責した。
- 苻丕には剣を与え、翌春までに戦果がなければ自裁せよとまで命じた。
- 周虓はひそかに桓冲へ前秦の内情を知らせる書を送ったが、のちに逃亡して漢中へ向かう途中で捕えられ、赦された。