資治通鑑晉紀三 世祖武皇帝 太康五年 284年

春正月 青龍出現と劉毅の諫止

  • 己亥、青龍が二たび武庫の井中に現れた。
  • 帝はこれを見て喜色を示し、百官は賀そうとした。
  • 尚書左僕射の劉毅は上表し、昔、龍が夏の宮廷に現れたことはかえって周の禍の因となったと述べ、易の「潜龍勿用」を引いて、賀礼の典故はないと諫めた。
  • 帝はこれに従った。

九品中正制への批判

  • かつて陳羣が、吏部だけでは天下の士を詳しく把握できないとして、郡国に中正、州に大中正を置き、その地の人で徳才のある者に人物を九品で評定させる制度を作った。
  • 長く行われるうち、中正が必ずしも適任でなくなり、弊害が日増しに深まった。
  • 劉毅は上疏し、中正は一人の意のままに人物の栄辱を決し、天朝の権威を奪っていると批判した。
  • その弊害として、強弱による判定の変化、州里の論争激化、品第の逆転、賞罰なき専断、不見識による誤評、実績より虚名の尊重、職務適性の無視、愛憎による私の横行の八つを挙げた。
  • そして中正と九品を廃し、新しい時代にふさわしい制度に改めるべきだと主張した。
  • 太尉の汝南王亮、司空の衛瓘もまた、九品は魏の乱後の一時的な便法にすぎず、今や天下統一後は不要だとして、土断を行い、中正・九品を廃して郷論に任せるべきだと上疏した。
  • 始平王の文学・李重も、九品を廃するなら居住移転を認め、土断を実効化すべきだと述べた。
  • 帝はその意見をよしとしながら、ついに改めなかった。

冬十二月 大赦・杜預死去

  • 庚午、大赦があった。
  • 閏月、当陽成侯の杜預が死んだ。

匈奴胡の来降と寧州廃止

  • この年、塞外の匈奴胡・太阿厚が部落二万九千三百人を率いて降り、帝はこれを西河の塞内に住まわせた。
  • また寧州を廃して益州に併せ、南夷校尉を置いて統轄させた。