春正月:謡言による官吏弾劾
- 春正月辛未、天下に大赦があった。
- 皇帝は、公卿に命じて、民間の風聞によって刺史・二千石のうち民の害となっている者を挙げさせた。
- ところが太尉の許郁・司空の張済は宦官の意向をうかがい、賄賂を受ける宦官の子弟や賓客には手を触れず、辺境の小郡で清廉に善政を行っていた者まで摘発した。
- そのため、二十六人の官吏について吏民が都へ出て無実を訴えた。
- 司徒の陳耽は、公卿の挙げる者は私情に偏っており、悪人を放って善人を囚えるようなものだと上言した。
- 皇帝は許郁・張済を責め、風聞で召された者たちはみな議郎に任じられた。
二月・三月:疫病と司徒交替
- 二月、大疫病が起こった。
- 三月、司徒の陳耽が免官となった。
夏四月・五月:旱魃と火災
- 夏四月、旱魃があり、太常の袁隗が司徒となった。
- 五月庚申、永楽宮の署で火災が起こった。
秋七月:板楯蛮への対応
- 秋七月、太微に彗星が現れた。
- 板楯蛮が巴郡で反乱し、連年討伐しても勝てなかったため、皇帝は大軍を発するかどうかを益州の計吏に問うた。
- 漢中の程包は、板楯七姓はもともと秦以来の功臣で租税を免除され、羌の侵入時にもたびたび漢を救ってきた忠勇の民であり、今の反乱は長吏や里亭の重税・労役・苛酷な使役が原因だと説いた。
- ただ善政の太守を選んで赦せば自然に安定すると主張し、皇帝はこれに従って曹謙を太守に任じ、赦詔を出したところ、板楯蛮はすぐ降伏した。
八月:巨大建築
冬十月:太尉交替と巡幸
- 冬十月、太尉の許郁が罷免され、太常の楊賜が太尉となった。
- 皇帝は上林苑で狩猟し、函谷関を経て広成苑にまで出猟した。
- 十二月、都へ戻って太学に行幸した。
桓典の剛直
- 侍御史の桓典は宦官たちに恐れられ、常に驄馬に乗っていたため、都では「驄馬御史を避けよ」とのはやり言葉ができた。