資治通鑑漢紀五十 孝靈皇帝 光和 四年 181年

春正月:騄驥廐丞の新設と馬政の弊害

  • 春正月、朝廷は初めて騄驥廐丞を置き、各郡国から徴発する馬を管理させた。豪族や有力者が馬の売買を独占したため、馬一匹の値が二百万にまで高騰した。

夏四月:交阯の反乱平定

  • 交阯では烏滸蛮の反乱が長引き、地方長官でも抑えられなかった。
  • 交阯の人である梁龍らが再び挙兵して郡県を破ると、詔で蘭陵令の朱儁を交阯刺史に抜擢した。
  • 朱儁は出撃して梁龍を斬り、数万人を降伏させ、ひと月ほどで全土を平定した。この功により都亭侯に封じられ、諫議大夫として召し返された。

六月・秋九月:天変と三公の交替

  • 六月庚辰、大粒の雹が降った。
  • 秋九月朔、日食が起こった。
  • このころ太尉の劉寛が罷免され、衛尉の許郁が太尉となった。

閏月・冬十月:宮中火災と司徒交替

  • 閏月、北宮東掖庭の永巷署で火災が起こり、司徒の楊賜が罷免された。
  • 冬十月、太常の陳耽が司徒に任じられた。

鮮卑の情勢変化

  • 鮮卑が幽州・并州に侵入した。
  • 鮮卑の大人・檀石槐が死ぬと、子の和連が立ったが、才力は父に及ばず、貪欲で放縦だった。
  • 和連は北地を攻めた際に北地の人に射殺された。その後、幼い子の騫曼に代えて甥の魁頭が立ち、のちに成長した騫曼と争って部衆は分裂した。魁頭の死後は弟の歩度根が立った。

宮中の奢侈と売官

  • この年、霊帝は後宮に市を作らせ、采女たちに商売をさせて、互いに盗み合い争わせるのを楽しんだ。
  • 自ら商人の服を着て宴席に加わり、犬に進賢冠と印綬を着けたり、四頭立ての驢馬車を自分で御して走らせたりしたため、都でもこれをまねる者が出て、驢馬の値段が馬と同じほどになった。
  • また、天下の珍品を私的に集め、各郡国の貢献物にはまず中署へ導行費を納めさせた。正規の献上以外にも別納を求めたため、民の負担が重くなり、役人は中間で利をむさぼった。

呂強の上疏

  • 中常侍の呂強は上疏し、宮中の諸府が各地の財宝・絹・馬を取り立てて私蔵し、さらに導行費を課して民を苦しめていると諫めた。
  • また、昔は三公が人材を選び、その実績を見てから尚書が弾劾したのに、今は尚書任せや詔による抜擢が多く、三公も尚書も責任を負わなくなっていると批判した。
  • しかし、皇帝はこの上奏を取り上げなかった。

何皇后と後宮の争い

  • 何皇后は嫉妬深く、王美人が皇子の協を生むと、これを毒殺した。
  • 皇帝は激怒して皇后を廃そうとしたが、宦官たちが強く取りなして中止させた。

宦官人事

  • 大長秋で華容侯の曹節が死去し、中常侍の趙忠がその職を代行した。