資治通鑑漢紀四十九 孝靈皇帝上之下 光和三年 前395年
春夏 赦令と江夏蛮
- 正月、天下に大赦があった。
- 夏四月、江夏の蛮が反乱した。
秋冬 地震・彗星・鮮卑
- 秋、酒泉で地震が起きた。
- 冬、狼弧のあたりに彗星が現れた。
- 鮮卑が幽州・并州を侵した。
十二月 何皇后の立后
- 貴人何氏が皇后に立てられた。
- 兄の何進は潁川太守から侍中に徴された。
- 何皇后はもとは南陽の屠家の出で、選ばれて後宮に入り、皇子弁を生んだため立后された。
この年 畢圭・霊昆苑の造営
- 畢圭苑・霊昆苑が造営された。
- 司徒楊賜は、先帝の苑囿は礼にかなっていたのに、今は郊外の肥沃な土地を奪って苑囿とし、田園を壊して居民を追い、禽獣を放つのは赤子を保つ政治に反すると諫めた。
- さらに城外にはすでに苑囿が五六もあり、四時の遊猟には十分であるとして、夏禹の卑宮や文帝の露台を引き、民の労苦を思うよう求めた。
- 皇帝はいったん中止しようとしたが、侍中の任芝・楽松が、君主の苑囿は民と共にすれば害はないと弁じたため、計画は続行された。
巴郡・荊南の反乱と楊琁
- 巴郡の板楯蛮は引き続き反乱した。
- 蒼梧・桂陽の賊も郡県を攻めた。
- 零陵太守の楊琁は、石灰を積んだ馬車や火をつけた布索、さらに弓弩を積んだ車を用いる戦術を考案した。
- 戦いでは風上から石灰をまき、賊の目をくらませ、火をつけて馬を驚走させ、その混乱に乗じて後続の兵車が弓弩を乱射したため、賊は大いに崩れ、首領を斬って郡内を平定した。
- しかし荊州刺史の趙凱は、楊琁が自ら戦ってもいないのに功を偽ったと誣告した。
- 楊琁は護送中、厳しい監視で弁明できなかったため、自ら腕を噛み切って血で衣に訴状を書き、親族を通じて朝廷に届けさせた。
- 皇帝はこれを認めて無罪とし、楊琁を議郎に任じ、趙凱には誣告の罪を負わせた。