資治通鑑漢紀四十九 孝靈皇帝上之下 光和二年 前396年

春 三公交代と橋玄の断

  • 春、大疫が流行した。
  • 三月、司徒の袁滂が罷免され、劉郃が司徒となった。
  • 太尉の橋玄は退いて太中大夫となり、段熲が太尉となった。
  • このころ橋玄の幼い子が誘拐され、犯人は楼上から身代金を求めた。司隷校尉や河南尹は橋玄宅を囲んだものの、子の命を惜しんで攻め込めなかった。
  • 橋玄は激しく叱って、国賊を一子のために逃がすことはできないと命じ、攻撃を敢行させた。その結果、子も死んだ。
  • のちに橋玄は、人質を取る者は身代金交渉を許さず皆殺しにすべきだと上言し、以後この種の犯罪は絶えた。

地震と司空交代

  • 京兆で地震が起きた。
  • 司空の袁逢が罷免され、張済が司空となった。
  • 四月朔、日食があった。

王甫・曹節の専横

  • 王甫・曹節らは内外で権勢を振るい、太尉の段熲もこれに阿附していた。
  • 王甫の父兄子弟は卿・校・州牧・郡守・令長として天下に満ち、各地で貪虐を尽くした。
  • とりわけ養子の王吉は沛相として一万人以上を殺し、罪名を書いた札をつけて屍を車にさらし回るなど、残酷を極めた。
  • 尚書令の陽球はかねてよりこの一党を憎み、「自分が司隷になれば必ず容赦しない」と憤っていた。

夏 陽球の王甫誅殺

  • 王甫の門生が京兆で官物七千余万を専売していたことを京兆尹楊彪が摘発し、司隷に告発した。
  • ちょうど段熲が日食を理由に自劾し、陽球は司隷としての謝恩で宮中にいたため、王甫・段熲・淳于登・袁赦・封羽らの罪を一気に奏上した。
  • 辛巳、王甫・段熲らは洛陽獄に収監され、王甫の子で永楽少府の王萌、沛相の王吉も逮捕された。
  • 陽球は自ら取り調べ、酷刑で王甫父子を杖殺し、段熲も自殺した。
  • さらに王甫の死体を城門に磔にし、大書して賊臣と示し、財産を没収し、妻子を比景へ流した。

陽球と曹節の対立

  • 陽球は次いで曹節らも糾弾しようとし、中都官従事に対し、まず大物の奸臣を除き、その後で袁氏のような豪族も処分すればよいと語ったため、権門は皆おそれた。
  • 順帝の虞貴人の葬送からの帰路、曹節は磔にされた王甫の死体を見て、自分たちが互いを食らい合うようなもので、犬にその汁をなめさせるべきではないと涙を拭った。
  • そして諸常侍に、今は外出を控えて皆で宮中へ入れと命じた。
  • 曹節は皇帝に、陽球はもともと酷吏であり、九江の功で再起したにすぎず、司隷に置けば毒虐をほしいままにすると訴えた。
  • 皇帝は陽球を衛尉に転じた。
  • 陽球は任命を受けるにあたり、なお一か月の猶予があれば豺狼や梟のような大悪人を根こそぎ処断してみせると泣いて願ったが、許されなかった。
  • こうして曹節・朱瑀らの勢力は再び盛んになり、曹節は尚書令を兼ねた。

審忠・呂強の上書

  • 郎中の審忠は、宦官が陳蕃・竇武を殺して以来、勝手に封賞を分け合い、親党を州郡に散らして私腹を肥やし、天災や夷狄侵入を招いたとして、王甫誅殺を機に朱瑀らも一掃すべきだと上書したが、握りつぶされた。
  • 中常侍の呂強もまた、宦官は本来功臣ではなく、侯に封ずるのは天爵を軽んじるものだと諫めた。曹節らは品卑しく讒佞で、趙高のような禍の種であるのに、茅土を与え家族まで金印紫綬を得ていると批判した。
  • さらに、後宮の女官が多すぎて財政を圧迫し、民は飢えているのに顧みられず、蔡邕の忠言が漏らされて一家が流罪となった結果、朝廷は忠言を失ったとも述べた。
  • また、段熲のような名将が陽球に誣告され、死後に家族まで流されているので、その家族を戻し、蔡邕も召し返して任用すれば人心が安んずると進言した。
  • 皇帝は呂強の忠誠を知りつつも、その意見を用いなかった。

五月以後 党錮の緩和と南匈奴

  • 天下に大赦があった。
  • 上禄長の和海が、従祖兄弟は別居別財なら恩義も薄く、党錮を五族にまで及ぼすのは礼にも法にも合わないと上言した。
  • 皇帝はこれを読んで悟り、党錮は従祖以下については解除された。
  • 五月、劉寛が太尉となった。
  • 護匈奴中郎将の張修は、南単于の呼徴と不和で、独断でこれを斬り、右賢王羌渠を新たな単于に立てた。
  • 秋七月、張修は無断で単于を殺した罪で檻車に載せられて廷尉に送られ、獄死した。

冬十月 劉郃・陳球・陽球の死

  • 司徒の劉郃は、兄の劉鯈が竇武とともに死んだ因縁もあり、陳球から曹節らを誅するべきだと勧められた。
  • 尚書の劉納も、国家の柱石たる宰相が危機を支えねば何の役に立つのかと促した。
  • 劉郃は陽球とも結んだが、陽球の小妻が程璜の娘であったため、程璜が脅迫と賄賂で内情を聞き出し、曹節に密告した。
  • 曹節らは、劉郃・劉納・陳球・陽球が不軌を謀っていると皇帝に訴え、皇帝は激怒した。
  • 十月、四人はみな下獄されて死んだ。

巴郡板楯蛮・鮮卑

  • 巴郡の板楯蛮が反乱し、御史中丞の蕭瑗が益州刺史を督して討ったが、勝てなかった。
  • 十二月、楊賜が司徒となった。
  • 鮮卑は幽州・并州を侵した。