資治通鑑漢紀四十 孝和皇帝下 永元 十五年 103年
夏四月 日食と諸王の在京問題
- 甲子晦、日食があった。
- 当時、皇帝は章帝以来の方針に従って兄弟の諸王をみな京師に留めていた。
- 有司は、日食は陰気の盛んな徴だとして、諸王をそれぞれ本国へ帰すよう奏請した。
- しかし皇帝は、幼いころに兄弟と早くから離別し、長じてもともに養われたことから深い手足の情があるとして、いまなお在京を続けることを選んだ。
秋九月から冬十一月 南巡
- 九月壬午、車駕は南巡に出た。清河・済北・河間の三王がこれに従った。
- 四州で長雨と水害があった。
- 冬十月戊申、章陵に幸し、戊午にはさらに雲夢へ進んだ。
- 留守を預かった太尉張禹は、江陵方面まで行くのは危険だとして駅馬で諫言した。
- 皇帝は、章陵での祭祀はすでに終わり、ただ大江を礼して帰るつもりだと答えた。
- 十一月甲申、宮へ還った。
嶺南の献上停止
- 嶺南では従来、生の龍眼・荔枝を貢進しており、十里ごとに駅、五里ごとに候舎を置いて昼夜兼行で運んでいた。
- 臨武長唐羌が上書し、これらは皇帝の徳にも、臣下の功にもならず、炎熱・悪虫・猛獣の道で人命を失わせるだけで、来た者は救えぬが今後来る者は救えると諫めた。
- 皇帝は、遠国の珍味は本来宗廟に薦めるためのものだが、もし人命を傷つけるなら民を愛する本旨に反するとして、太官に命じて以後は受け取らせなかった。
夏至の薄刑制度
- この年、郡国に命じて日北至にあたり軽罪を点検させる制度を始めた。