資治通鑑漢紀三十七 顯宗孝明皇帝 永平 十三年 70年
夏:汴渠完成と巡行
- 四月、汴渠が完成し、黄河と汴水は再び旧来の流路どおり分流するようになった。
- 辛巳、帝は滎陽に行幸して河渠を巡察し、そのまま黄河を渡り太行山に登って上党へ赴いた。
- 壬寅に宮へ帰還した。
冬:楚王英の逆謀発覚
- 十月壬辰の晦日に日食があった。
- 楚王英は方士とともに金の亀・玉の鶴を作り、文字を刻んで符瑞としていたが、燕広という者が、英が漁陽王平や顔忠らと図書・讖緯を作って逆謀を企てていると告発した。
- 事件は取り調べられ、有司は大逆不道として死刑を請うた。
- しかし帝は近親であることを思って忍びず、十一月、英を廃して丹陽郡涇県へ移し、湯沐邑五百戸を与えた。
- その子女の侯主としての食邑は従来どおりとし、母の許太后には璽綬を上納させず、楚宮に留まることを許した。
- 以前、私かにこの謀反を司徒虞延へ告げた者がいたが、虞延は英が至親の藩王であることから信じなかったため、事件発覚後、帝は詔書で虞延を厳しく責めた。