資治通鑑漢紀三十七 顯宗孝明皇帝 永平 十年 67年
春:広陵王荆の自殺
- 二月、広陵思王荆が自殺した。国は廃された。
夏:赦令と南陽行幸
- 四月、天下に大赦が行われた。
- 閏月には南陽へ行幸し、校官の弟子たちを召して雅楽を作らせ、『鹿鳴』を奏させた。
- 帝みずから塤と箎を吹いてこれに和し、賓客を楽しませた。
- その後、南頓にも立ち寄った。
冬:帰宮と丁鴻の譲国
- 十二月、帝は宮に帰った。
- 以前、陵陽侯丁綝が死去し、その子の丁鴻が封を継ぐべきであったが、病を理由に弟の丁盛へ譲ろうと上書した。朝廷が返答しないまま葬儀が終わると、丁鴻は喪服を墓の庵に掛けて姿を消した。
- 九江の鮑駿が東海で丁鴻に会い、伯夷や季札の譲国は乱世ゆえの非常措置であり、『春秋』の義では家の事情で王命を廃してはならないと諭した。
- 丁鴻は涙して悟り、帰って封国についた。
- 鮑駿はさらに丁鴻の経学と至行を推薦し、帝は丁鴻を徴して侍中とした。