資治通鑑漢紀二十三 孝成皇帝 鴻嘉 元年 前20年
薛宣の登用
- 春正月、薛宣が御史大夫に任じられた。これは谷永の進言を受けた人事である。
- 二月、成帝は初陵に行幸し、陵役に従事していた徒隷を赦した。
- また、新豊の戯郷を昌陵県として初陵に奉属させた。
成帝の微行と張放
- このころ成帝はしばしば微行を始めた。ごく少数の期門郎や私奴を連れ、小車に乗るか騎馬で、市中や郊外、時には周辺の県まで出歩いた。甘泉・長楊・五柞などにも赴き、しばしば斗鶏や競馬を楽しんだ。
- その際、自らを「富平侯の家人」と称した。富平侯とは張安世の四世の孫である張放で、父の張臨は敬武公主を妻とし、張放自身も侍中中郎将で、許皇后の妹を娶っており、当時比類ない寵遇を受けていたため、帝はその名を仮りたのである。
張禹の退任と薛宣の拜相
- 三月、張禹は老病を理由に退いたが、列侯として朔望の朝会に参じ、特進の位と丞相並みの待遇を受け、前後数千万にのぼる賞賜を受けた。
- 夏四月、薛宣が丞相となり、高陽侯に封じられた。
- 京兆尹王駿が御史大夫となった。
王音の封侯
- 王音は、従舅という近親関係で重用されながらも、慎重に職務を果たした。成帝は、王音が御史大夫から将軍に転じたため、丞相になって封侯する道を得なかったことを気にかけた。
- 六月、王音は安陽侯に封じられた。
年末の異変と匈奴
- 冬、真定で黄龍が見えた。
- この年、匈奴では復株累単于が死に、弟の且麋胥が立って搜諧若鞮単于となった。子の昫留斯侯を入侍させ、且莫車を左賢王とした。