資治通鑑漢紀二十三 孝成皇帝 陽朔 四年 前21年

赦令と東平王の死

  • 春二月、天下に大赦があった。
  • 夏四月、雪が降った。
  • 秋九月、東平思王劉宇が死去した。

京兆尹王駿の名声

  • 少府の王駿が京兆尹となった。王駿は王吉の子である。
  • 以前の京兆尹には趙広漢・張敞・王尊・王章らの名吏があり、王駿もまた有能で名高かったため、都では「前に趙・張、後に三王」と称された。

于永の死と西域情勢

  • 閏月、于永が死去した。
  • 烏孫の小昆彌烏就屠が死に、その子の拊離が立ったが、弟の日貳に殺された。漢は使者を送り、拊離の子の安日を新たな小昆彌に立てた。
  • 日貳は康居に逃れて遠地を頼み自保したが、安日は側近の姑莫匿ら三人に偽って亡命させ、日貳のもとに入り込ませて刺殺させた。
  • これを受け、西域諸国はそろって上書し、以前の都護である段会宗の復帰を望んだ。朝廷がこれを許すと、城郭諸国はこぞって漢に親附した。

谷永の上奏

  • 谷永は、名声だけでなく実効を見て人を用いるべきであり、御史大夫は任が重いので、少府薛宣の政務能力をよく観察すべきだと奏上した。
  • 成帝はこれをもっともだとした。