資治通鑑漢紀二十二 孝成皇帝 河平 三年 前26年

春正月・二月 楚王来朝と広戚侯封建

  • 春正月、楚王囂が来朝した。囂は宣帝の子で、成帝には叔父にあたる。
  • 二月乙亥、帝は囂の平素の行いが純良であるとして特に遇し、その子の勲を広戚侯に封じた。

丙戌 犍為地震

  • 丙戌、犍為で地震が起こり、山が崩れて江水をせき止め、水が逆流した。

秋八月 日食と蔵書整理

  • 秋八月乙卯晦、日食があった。
  • 帝は宮中の秘書が散逸していることを憂え、謁者陳農に天下の遺書を求めさせた。
  • 劉向には経伝・諸子・詩賦、任宏には兵書、尹咸には数術、李柱国には方技をそれぞれ校訂させた。
  • 劉向は書ごとに篇目を整理し、要旨を抜き出して記録し、逐次奏上した。

劉向『洪範五行伝論』

  • 劉向は王氏の権勢があまりに盛んであることを憂え、帝がいま『詩』『書』や古文を好んでいるのに合わせて、『尚書』洪範をもとに古来の符瑞・災異を集成し、春秋・戦国から秦漢までの行事に照らして禍福の法則を論じた書をまとめた。
  • これが『洪範五行伝論』十一篇である。
  • 帝は、劉向が忠誠から王鳳兄弟を戒めようとしていることを理解していたが、結局王氏の権勢を削ぐことはできなかった。

黄河再決壊と治水

  • 河は再び平原から決壊し、済南・千乗へ流れ込み、建始期に壊れた地域の半ばを再び損なった。
  • 朝廷は王延世を再度派遣し、丞相史楊焉、将作大匠許商、諫大夫乗馬延年らとともに治水に当たらせた。
  • 六月に工事は完成し、王延世には再び黄金百斤が与えられた。
  • 治河に従事した卒で、通常賃金で雇われた者でない者には、外徭六月に相当する功を簿籍に記して与えた。