資治通鑑漢紀十六 中宗孝宣皇帝上之上 本始 三年 前71年

許皇后の崩御と霍顕の陰謀

  • 春正月癸亥、恭哀許皇后が崩じた。
  • 実は霍光の妻霍顕は、自分の末娘成君を皇后にしたいと望んでいたが、その道がなかった。
  • 許皇后が出産時の病にかかった際、霍氏と親しい女医の淳于衍が長定宮へ出入りしていた。霍顕はこれを利用し、出産は大事で十に九つは危ないのだから、この機会に毒を盛って除くよう持ちかけた。
  • 淳于衍はためらったが、霍顕は将軍が天下を領している以上、誰も咎めないと説いて口説き落とした。
  • 皇后が出産を終えた後、淳于衍は附子を太医の丸薬に混ぜて飲ませた。皇后は頭の異変を訴え、まもなく苦しみ崩じた。
  • のちに医者らの看病不行届きを告発する上書があり、関係者が詔獄に収められると、霍顕は恐れて事の顛末を霍光に告白した。霍光は驚いたが、自ら発して告発するに忍びず、奏文に「淳于衍は論ずるな」とだけ書き入れて済ませた。
  • こうして霍顕はさらに娘を宮中へ入れることを霍光に勧めた。

匈奴遠征の結果

  • 戊辰、長安を発した五将軍軍は北伐に赴いたが、匈奴は漢軍大出を聞くと老弱を退避させ、家畜を遠くへ移して逃れたため、大きな戦果を得にくかった。
  • 度遼将軍范明友は塞外千二百余里の蒲離候水に至り、七百余級を斬捕した。
  • 前将軍韓増は烏員まで進んで百余級。
  • 蒲類将軍趙充国は候山まで進み、匈奴の使者や蒲陰王以下三百余級を得た。
  • しかしいずれも敵主力と決戦できず、所定地点に届かないまま帰還したので、天子は戦果が薄いとしても過失を比較的寛大に扱った。
  • 祁連将軍田広明は雞秩山まで進み、わずか十九級を得たのみで、漢の使者帰還者から西に敵がいると聞きながら、あえて「敵はいない」と言わせて軍を返した。御史属の公孫益寿が諫めたが聞かなかった。
  • 虎牙将軍田順も丹余吾水で進軍を止め、千九百余級を挙げただけで退いた。
  • そのため、田順は期日に至らず戦果を偽って水増しした罪、田広明は敵前で逗留して進まなかった罪に問われ、ともに自殺した。公孫益寿は昇進して侍御史になった。

烏孫・常恵の大勝

  • 烏孫の昆弥はみずから五万騎を率い、校尉常恵とともに西方から入り、右谷蠡王の庭を衝いた。
  • 単于の父系親族、嫂の居次、名王、犁汗都尉、千長・騎将以下、四万級に及ぶ大戦果を挙げ、馬・牛・羊・驢馬・駱駝あわせて七十余万頭を獲た。
  • 戦利品は烏孫が自取したが、宣帝は漢の五将軍がみな大功なく、常恵だけが使節の身で実際の戦果を収めたことを重く見て、常恵を長羅侯に封じた。
  • 匈奴はこの遠征に加えて、逃亡中の民や遠方移送された家畜の損耗も甚大で、著しく衰えた。

常恵の便宜行動と龜茲討伐

  • 宣帝はさらに常恵を金帛を持たせて烏孫へ返し、功ある貴人を賞させた。
  • 常恵は、かつて漢の校尉頼丹を殺した龜茲がなお処罰を受けていないので、帰路に討つ許可を求めたが、帝は認めなかった。
  • しかし霍光は、常恵に情勢に応じて便宜に従えと内々に示した。
  • 常恵は烏孫からの帰途、諸西域国から二万人、さらに龜茲東方の国々から二万人、烏孫兵七千を徴発し、三面から龜茲を攻めた。
  • 開戦前に、先王の時代に貴人姑翼に惑わされて頼丹殺害が起きただけで、自分には罪がないという龜茲王の弁明を聞くと、ならば姑翼を縛って差し出せと迫った。
  • 王がこれに従ったため、常恵は姑翼だけを斬り、王国自体は赦して帰った。

旱魃と宰相交代

  • 大旱が起きた。
  • 六月己丑、陽平節侯蔡義が死去した。
  • 甲辰、長信少府韋賢が丞相となり、大司農魏相が御史大夫となった。

匈奴のさらなる衰退

  • 冬、匈奴単于は数万騎を率いて烏孫を攻め、ある程度は老弱を捕えたが、帰還途中で大雪に遭った。わずか一日で雪は一丈余にも積もり、人馬は凍死し、生還者は十分の一にも満たなかった。
  • そこへ丁令が北から、烏桓が東から、烏孫が西から攻め、三国の攻撃で数万級の損害を受けた。
  • 飢餓と戦乱のため、匈奴の人民は三割、家畜は五割ほど失われ、属国も離反し、統制が取れなくなった。
  • 漢はさらに三道から三千余騎を入れて数千人を捕え、匈奴は報復を試みることもできず、ますます和親を望むようになり、辺境は静まっていった。

趙広漢、京兆尹となる

  • この年、潁川太守の趙広漢が京兆尹に任じられた。
  • 潁川では豪傑が朋党を組んでいたが、趙広漢は投書を受ける缿筩を設けて、役人や民に密告させ、互いに告発させたため、姦党は離散した。
  • 匈奴の降人の間にまでその名が聞こえていたことが、京兆尹起用の理由ともなった。
  • 趙広漢は部下に手厚く接し、功績は下僚に帰しつつ、怠慢があれば即座に摘発した。とくに「鉤距」と呼ばれる巧みな取調べに長け、相手が自ら知らぬうちに事実を引き出された。
  • 長安の治安は大いに粛清され、老人たちは、漢建国以来京兆を治めた者でこれに及ぶ者はいないと語り合った。