資治通鑑漢紀十六 中宗孝宣皇帝上之上 本始 四年 前70年
霍成君の立后
- 春三月乙卯、霍光の娘が皇后に立てられ、天下に大赦が行われた。
- 許皇后はもと微賤から立ったため、車服や供奉は質素だったが、霍皇后が立つと、輿馬や侍従は大いに増え、官属への賞賜も千万単位に及び、許后の時代とは隔絶した豪奢となった。
大地震と朝廷の対応
- 夏四月壬寅、郡国四十九で同日に地震が起き、山崩れ・城郭家屋の倒壊があり、六千余人が死亡した。
- 北海・琅邪では祖宗の廟も壊れた。
- 宣帝は丞相・御史に命じて列侯・中二千石・経学者に広く意見を求め、災異への対策を忌避なく述べさせた。
- 三輔・太常・内郡国には賢良方正を各一人ずつ挙げさせ、天下に大赦を行い、自らは素服となって正殿を避けて五日過ごした。
夏侯勝・黄霸の復帰
- この時、夏侯勝と黄霸が釈放された。
- 夏侯勝は諫大夫給事中、黄霸は揚州刺史に任ぜられた。
- 夏侯勝は質朴で威儀に欠け、ときに天子の前で「君」と呼び字で言い誤ることすらあったが、帝はかえってその飾らぬ人柄を信任した。
- ある時、宮中での帝の言葉を外で語ったため叱責されると、良い言葉だから天下に広めたのであり、堯の言葉が今に伝わるのと同じだと答えた。帝はますますその直さを重んじた。
- 朝廷に大議があるたび、帝は以前の件を恐れず正論を述べよと求めた。後に夏侯勝は長信少府、さらに太子太傅となり、九十歳で卒した。太后は師傅の恩に報いるため、素服五日・銭二百万を賜った。
- 五月、鳳凰が北海の安丘・淳于に現れた。
広川王去の廃位
- 広川王劉去は、その師や姫妾十余人を殺し、口に鉛錫を流し込み、支解し、毒薬で煮て骨肉を砕くなど残虐を極めた。
- そのため廃されて上庸へ移され、自殺した。