資治通鑑漢紀十四 世宗孝武皇帝 後元 二年 前87年
春正月・二月:病篤くして後事を託す
- 武帝は甘泉宮で諸侯王を朝会させた。
- 二月、盩厔の五柞宮に行幸した。
- 武帝の病は重くなり、霍光が涙ながらに「もし不諱があれば、誰を後継とすべきでしょうか」と問うた。
- 武帝は「以前に与えた絵の意味がまだ分からぬのか。少子を立てよ。そなたは周公の役を行え」と答えた。
- 霍光は辞退して「臣は金日磾に及びません」と言い、日磾もまた「私は外国の人間で、もし自分が重任に就けば匈奴に漢を軽んじられます。霍光には及びません」と譲った。
- 乙丑、弗陵を皇太子に立てた。時に八歳であった。
- 丙寅、霍光を大司馬大将軍、金日磾を車騎将軍、太僕上官桀を左将軍とし、遺詔を受けて少主を補佐させた。
- あわせて搜粟都尉桑弘羊を御史大夫とした。いずれも臥内の牀下で拝命した。
霍光・金日磾・上官桀の人物
- 霍光は禁中に出入りして二十余年、外では奉車、内では左右に侍し、小心で慎み深く、過失がなかった。
- 殿門を出入りする際の歩みや立ち位置は常に一定で、郎僕射がひそかに目印をして見ても寸分違わなかったという。
- 金日磾もまた、数十年のあいだ天子のそばにあって目をそむけて不遜な視線を向けることがなく、賜った宮女にも近づかなかった。武帝がその娘を後宮に入れようとしても受けず、その慎みぶりは徹底していた。
- 日磾の長子は幼いころ武帝の遊び相手として寵愛されたが、成長後に宮人と戯れるのを日磾が見て、その淫乱を憎み自ら殺した。
- 武帝は最初怒ったが、理由を聞くと深く悲しみつつも、かえって日磾を敬うようになった。
- 上官桀はもとは材力によって武帝に気に入られた。甘泉行幸中の大風でも車の蓋をしっかり支え、さらに武帝の病後、厩の馬が痩せていたことを咎められた際には、「聖体のご不安を昼夜案じており、馬まで心が回りませんでした」と涙ながらに答え、忠愛の情を示して近侍となった。
- この三人はいずれも武帝が平生から愛し信じた者たちであり、ゆえに特に後事を託した。
丁卯:武帝崩御
- 丁卯、武帝は五柞宮で崩御した。年七十一。
- 遺体は未央宮前殿に納めて殯した。
武帝の断法と昭平君の例
- 武帝は聡明で決断に優れ、人をよく用い、法を施すに私情を許さなかった。
- 隆慮公主の子・昭平君は、武帝の娘である夷安公主を妻としていた。
- 隆慮公主が病に臥したとき、金千斤・銭千万を出して「もし昭平君が罪を犯したら、これであらかじめ死罪を贖わせてほしい」と願い、武帝も許した。
- やがて隆慮公主は死に、昭平君は驕慢となって酒に酔い、公主の傅を殺した。
- 廷尉が公主の子として上奏すると、側近たちは以前の贖罪の約束もあって助命を求めた。
- 武帝は「私の妹は老いてこの一子を得て、死に際に私へ託した」と涙して長く嘆いたが、ついに「法令は先帝の定めたものだ。妹ゆえにそれを曲げれば高廟に顔向けできず、万民にも背く」と言い、廷尉の奏を許して処断した。左右もみな悲しんだ。
- 待詔の東方朔は進み出て、「聖王の政は賞に仇を避けず、誅に骨肉を選ばない。これは五帝が重んじ三王も難しとしたことです。陛下はこれを行われた」と寿を上げた。武帝は初め怒ったが、のちにこれを善しとして東方朔を中郎とした。
班固の賛と司馬光の評
- 班固は、漢は諸王朝の弊を受け継いだが、高祖は乱を平らげ、文景は養民に努め、武帝は六経を尊び百家を退け、太学・郊祀・正朔・暦・音律・詩楽・封禅など多方面で制度を整えたと称えた。
- もしその雄才大略に加えて文景の恭倹を失わず、民をいたわっていたなら、『詩』『書』に称される聖王にも劣らなかっただろうというのが班固の趣旨である。
- これに対し司馬光は、武帝は奢侈を極め、刑罰と徴斂を重くし、宮室を飾り四夷に兵を用い、神怪を信じて巡遊にも節度がなく、民を疲弊させて盗賊を起こさせた点で、秦始皇と大差ないと厳しく論じる。
- それでも秦が滅び漢が興ったのは、武帝が先王の道を尊び、国家の統を守り、忠直の言を聞き、欺きや蔽いを憎み、賢者を求めることに倦まず、賞罰を明らかにし、晩年には過ちを改め、後事を託す人を得たからだと結論づけた。
戊辰:昭帝即位
- 戊辰、皇太子弗陵が即位した。
- 武帝の姉である鄂邑公主が禁中でこれを養育した。
- 霍光・金日磾・上官桀がともに尚書事を領し、霍光が幼主を輔けて政務を専断した。
霍光の威望
- 天下は霍光の風采を仰ぎ聞いた。
- ある夜、殿中に怪異があって群臣が驚くと、霍光は符璽郎を呼んで璽を収めようとした。
- しかし郎は渡さず、霍光が奪おうとすると、剣に手をかけて「私の首は取れても、璽は渡せません」と言った。
- 霍光はその義気を立派だとし、翌日その郎の秩を二等上げた。人々はみな霍光の度量を称えた。
三月:葬儀
夏六月:赦令
秋七月:天変と諸侯処分
- 東方に彗星が現れた。
- 済北王寛は禽獣行の罪によって自殺した。
冬:匈奴の侵入
- 匈奴が朔方に侵入して官民を殺掠した。
- 漢は軍を発して西河に屯させ、左将軍上官桀を北辺へ巡行させた。