資治通鑑漢紀 世宗孝武皇帝 元光 四年 前131年
冬十二月晦 魏其侯の処刑
- 十二月の晦日、魏其侯竇嬰が渭城で処刑された。春の恩赦が及ばないうちに年末に刑を執行したのは、田蚡が赦免を恐れたためとみられる。
春三月 田蚡の死
- 三月乙卯、武安侯田蚡もまた死去した。
- 後年、淮南王安が失脚したとき、武帝は「もし武安侯が生きていれば一族滅亡だった」と語っており、田蚡がかつて淮南王から金を受け、不穏な言葉を吐いていたことを念頭に置いていた。
夏四月 異変と人事
- 四月、霜が降って草を枯らした。
- 御史大夫の韓安国が丞相職を代行していたが、天子の行列で奉引中に車から落ち、足を悪くした。
- 五月丁巳、平棘侯薛沢が丞相に任じられた。韓安国は病のため免官された。
- 地震があり、天下に大赦が行われた。
- 九月、中尉張欧が御史大夫に任じられた。韓安国は病が癒えて中尉に復帰した。
河間王徳の学問蒐集
- 河間王徳は学問を修め、古制を好み、事実に即して真を求める人物であった。各地に金帛をもって良書を求め、多くの書物を集めた。
- 同じ頃、淮南王安もまた書物を好んだが、集まった客は多くが言辞ばかり達者な者だった。これに対し河間王のもとに集まったのは、古文で伝わる先秦の旧籍が中心であった。
- 彼は礼楽や古事を採録・整理して五百余篇にまとめ、ふだんの身なりや日常の振る舞いまで儒者の作法に従ったため、山東の儒者たちが多く彼を慕って集まった。