資治通鑑漢紀八 孝景皇帝下 後元二年 前142年

春正月・三月 地震と匈奴侵入

  • 春正月、一日のうちに三度地が震えた。
  • 三月、匈奴が雁門に侵入し、太守の馮敬が戦死した。
  • 朝廷は車騎兵と材官を発して雁門に駐屯させた。

春 凶作への対応

  • その年は不作であったため、内郡では馬に粟を食べさせることを禁じ、違反者の馬は没収して官に入れた。

夏四月 倹約と農桑奨励の詔

  • 景帝は、彫刻や細工は農事を害し、錦繍や組紐は女工を害すると述べ、飢えと寒さが人を悪に走らせる根源だとした。
  • 自ら親耕し、后も親桑して宗廟の祭祀と祭服をまかなうことで天下の模範とし、献上を受けず、太官を減らし、徭役と賦税を軽くしてきたのだから、天下も農桑に励み蓄えを持つべきだと諭した。
  • さらに、今年の不足の責任は、詐って官人を名乗る者、賄賂で公事を売買する者、百姓を漁るように奪う者、法を曲げて盗人と結ぶ長吏にあるとして、二千石に職務励行を命じ、怠慢・混乱があれば丞相に報告して処罰させ、その趣旨を天下に布告した。

五月 官吏任用の資産条件緩和

  • 役人になるために必要な財産資格を十算から四算に緩めた。商人はもともと官になれず、廉士でも財が足りず任官できない弊害があったためである。

秋 旱魃

  • 秋、大旱があった。