冬十月・十二月 異常な天象
- 冬十月、日と月がともに蝕し、その赤みが五日続いた。
- 十二月晦日には雷が鳴り、日色は紫のように見え、五星は逆行して太微にとどまり、月は天廷の中を貫いた。
春正月 農本政策の詔
- 景帝は、農こそ天下の根本であり、黄金や珠玉は飢えを満たさず寒さを防げないと説いた。近年の不作は末業に流れる者が多く農民が少ないからだとして、郡国に農桑を奨励し、衣食に役立つ樹木作物も増やすよう命じた。
- また、官吏が民を使役して雇用のように扱ったり、黄金や珠玉を採集したりする者は贓罪・盗罪として処罰し、それを黙認する二千石も同罪とした。
皇太子の加冠と景帝の崩御
- 甲寅、皇太子が冠礼を行った。
- 甲子、景帝は未央宮で崩じた。年四十八であった。
- 皇太子が即位して皇帝となった。年十六。皇太后は太皇太后となり、皇后は皇太后となった。
- 二月癸酉、孝景皇帝を陽陵に葬った。
三月 田氏の封侯
- 皇太后の同母弟である田蚡を武安侯、田勝を周陽侯に封じた。
史論 文景の治
- 班固は、周・秦の苛法と比べて、漢が建国後に煩苛を除き、文帝・景帝が恭倹と休養を重ねた結果、五、六十年のあいだに風俗は大きく改まり、民は醇厚となったと称えた。
- 秦末以来の疲弊から、当初は天子ですら同色の四頭立て馬車を整えられず、将相が牛車に乗るほどだったが、文景の治によって国家に事なく、倉庫は満ち、京師の銭は数え切れずに朽ち、太倉の穀物は積み重なって腐るほどになった。
- 民間でも馬が路地にあふれ、役人は任地に定着して子孫までその職名を姓号のようにした。人々は自らを大切にし、先に義を行ってのちに辱めを避けるようになった。
- ただし、富が行き渡ると兼并や豪族の専横、宗室や公卿以下の奢侈も生じ、盛衰の理により、のちの武帝期には内は奢侈、外は対外遠征で国力を消耗することになる、と結んでいる。