資治通鑑漢紀八 孝景皇帝下 後元元年 前143年

春正月 疑獄への寛典

  • 景帝は、獄は重大事であり、人にも官にも見識の違いがあるから、疑わしい案件は有司に審議させ、有司で決しがたいものは廷尉に回し、たとえその判断が最終的に適切でなくても、疑って再審したこと自体は罪に問わないとした。
  • これは、裁判に携わる者にまず寛大さを心がけさせようとする措置だった。

三月・夏 赦令・大酺・地震

  • 三月、天下に大赦があった。
  • 夏、五日間の大酺を行い、民に酒の販売を許した。
  • 五月丙戌、地震があり、上庸では二十二日も揺れが続き、城壁が壊れた。

秋七月・八月 丞相交代

  • 七月、丞相劉舎が免職となった。晦日には日食があった。
  • 八月、御史大夫の衛綰を丞相に、衛尉の直不疑を御史大夫に任じた。

直不疑の人柄

  • 直不疑は若い頃、同宿の郎が帰郷の際に誤って仲間の金を持ち去り、残された者は不疑が盗んだものと思った。不疑は弁明せず、自分が取ったことにして金を買い求めて償った。
  • のちに本来の持ち主が戻って誤解が解けたため、皆は大いに恥じ、不疑を長者と称えた。
  • また、人前で「嫂と不義を働いた」と中傷されても、「私は兄がいない」とだけ言い、詳しく弁解しなかった。

周亜夫の最期

  • 景帝は禁中で周亜夫を召して食事を賜ったが、大きな肉の塊を置くだけで切り分けた肉も箸も出さなかった。周亜夫が不満げに席係へ箸を求めると、景帝は笑って「朕が君に足りぬようにしているのか」と言った。周亜夫は謝罪して退いたが、景帝はその後ろ姿を見て、「この男は少主の臣ではない」と評した。
  • しばらくして、周亜夫の子が父の葬具として官の工房から甲冑と楯五百具を買い集めたが、雇人への支払いを渋ったため、恨んだ者が官物を盗み買いしたと告発した。
  • この事件は周亜夫の名にも連座し、獄吏の取り調べを受けた。景帝は「朕は再び用いない」と言って容赦せず、廷尉へ送らせた。廷尉は「地上で反するつもりがなくても、地下で反するつもりなのだろう」とまで言って責め立てた。
  • 周亜夫は捕らえられた際に自殺しようとしたが妻に止められ、獄中で五日絶食したのち吐血して死んだ。
  • この年、済陰哀王不識も死去した。