資治通鑑漢紀 孝惠皇帝 元年 一年 前192年
冬十二月 趙王如意毒殺
- 冬十二月、恵帝が朝早く射に出た時、趙王如意はまだ年少で早起きできなかった。
- その隙に太后は人をやって毒酒を飲ませ、夜明け前に如意を死なせた。
戚夫人への残虐な処置
- 太后はさらに戚夫人の手足を切り落とし、目をえぐり、耳を焼き、声を失わせる薬を飲ませ、厠に住まわせて「人彘」と呼ばせた。
- 数日後、恵帝を呼んでこれを見せると、帝はそれが戚夫人だと知って大いに泣き、病を得て一年余り起き上がれなくなった。
- そして「これは人のすることではない。私は太后の子として天下を治めることなどできない」と言った。
- この後、帝は日々酒を飲んで享楽にふけり、政事に耳を貸さなくなった。
司馬光の評
- 司馬光は、父母に過ちがあれば諫め、聞かれなければ泣いて従うべきなのに、天下の主たる恵帝は母の残酷を止められず、かえって国家を顧みず酒色に溺れたとして、小さな仁はあっても大義を知らぬと評する。
淮陽王友を趙王へ
- 淮陽王友を趙王に移した。
春正月 長安城築造開始
- 春正月、長安城の西北部分の築城工事を始めた。