呂不韋の失脚
- 冬十月、文信侯呂不韋は相国を罷免され、封国へ退いた。
逐客令と李斯の上書
- 宗室と大臣たちは、諸侯から秦に来て仕える者はみな本国のために遊説し、秦の君臣を離間する者だとして、すべて追放すべきだと進言した。
- そこで大規模な逐客令が実施され、客卿である楚出身の李斯も追放対象となった。
- 李斯は出国の途上で上書し、秦の穆公・孝公・恵王・昭王はいずれも他国出身の人材を用いて覇業を成し遂げたのだと論じた。
- そして、美女や珠玉は秦の産でなくても珍重するのに、人材だけは秦人でなければ排斥するのは道理に合わないと批判した。
- さらに、泰山は土壌を拒まず、河海は細流を捨てないからこそ大きくなれたのであり、王者もまた衆庶を退けないからこそ徳を明らかにできる、と説いた。
- この上書を読んだ王は、李斯を呼び戻して官職を復させ、逐客令を廃止した。李斯は驪邑まで行ってから引き返した。
六国離間策の開始
- 王はついに李斯の策を採用し、ひそかに弁士たちに金玉を持たせて諸侯のもとへ遊説に送った。
- 財貨で取り込める名士には厚く賄賂を贈り、応じない者は刺客で除き、諸侯の君臣関係を乱したうえで、秦の良将を続けて進発させた。
- この離間策と軍事行動により、秦は数年のうちに天下を併呑する道筋を整えた。