正月、邯鄲攻防の行き詰まり
- 正月、王陵が邯鄲を攻めたが、大きな成果はなかった。
- 秦はさらに兵を増派したものの、王陵は五校を失った。
白起、再起用を拒む
- 白起の病がやや癒えると、秦王は彼に王陵の代任を命じようとした。
- 白起は、「邯鄲は容易に攻められず、諸侯の救援も日ごとに増えている。秦は長平で勝ったとはいえ損耗も大きく、国力は空虚だ。遠く河や山を越えて敵国の都を争えば、趙は内から防ぎ、諸侯は外から攻める。秦軍は必ず破れる」として出陣を拒んだ。
- 王が自ら命じても従わず、応侯に説かせても、病を理由に最後まで固辞した。
- やむなく秦王は王齕を王陵の代わりに起用した。
平原君、楚へ救援を求める
- 趙王は平原君に楚への救援要請を命じた。
- 平原君は、文武の才を兼ね備えた食客二十人を選んで同行させようとしたが、一人足りなかった。
- そこで毛遂が自ら進み出た。
- 平原君は、「本当に賢い士なら、袋の中の錐のように先端がすぐ見える。三年も私の門下にいて名が聞こえないのは才能がないからだ」と言った。
- 毛遂は、「今日まで袋の中に入る機会がなかっただけだ。もし早く入っていれば、先端だけでなく穂先まで抜け出ていた」と応じた。
- 平原君はこれを認めて同行させたが、他の十九人は目配せして笑った。
毛遂、楚王を動かす
- 楚に着いた平原君は、楚王に合従の利害を説いたが、朝から昼まで話しても決しなかった。
- 毛遂は剣を按じて階を上り、「利か害かの二言で済む話なのに、なぜ決しないのか」と迫った。
- 楚王が怒って叱ると、毛遂はさらに進み、「十歩の内では楚の大軍も王を助けられない。王の命は今、私の手にある」と言って屈せず、楚の国勢を挙げながら、白起に鄢・郢を奪われ、先祖の陵墓まで辱められた楚にとって、合従は本来趙のためでなく楚自身のためだと論じた。
- 楚王はついに承服し、合従参加を約した。
- 毛遂は盟約の血を求め、楚王・平原君・自分の順に歃血すべきだと言って、その場で盟を成立させた。
- その後、堂下の十九人を呼んで歃血させ、「諸君はただ人の後ろについて功を成しただけだ」と嘲った。
- 平原君は帰国後、「もう天下の士を見くびることはできない」と言い、毛遂を上客とした。
楚・魏、趙救援へ
- 楚王は春申君黄歇に兵を授けて趙救援へ向かわせた。
- 魏王も将軍晋鄙に十万の兵を与えて趙を救わせた。
魏、秦を恐れて二股をかける
- だが秦王は魏王に、「趙はもうすぐ落ちる。もし諸侯が救えば、趙を滅ぼした後で真っ先に攻める」と威嚇した。
- 魏王は恐れ、晋鄙に進軍停止を命じ、鄴に壁して名目上は救援、実際には態度保留とした。
新垣衍、帝秦を持ちかける
- 魏はさらに新垣衍を間道で邯鄲へ入れ、平原君を通じて趙王に「秦を帝と尊び、その代わりに兵を退かせよう」と説かせた。
- これを聞いた魯仲連は新垣衍に会い、「秦は礼義を捨て、斬首の功を最上とする国だ。そんな国が天下の帝となるなら、自分は東海に蹈んで死ぬほかない」と言った。
- さらに、殷の九侯・鄂侯・文王の故事を引いて、「一国が勝ったからといって他国がそれを帝と仰げば、やがて脯醢にされるような屈辱に至る」と説いた。
- また、秦が帝となれば諸侯の大臣を入れ替え、王の妃姫・側女まで他国に送り込み、梁王も将軍も今の安寧や寵遇を保てなくなると脅かした。
- 新垣衍は再拝して謝り、「もう二度と帝秦を口にしない」と退いた。なお、秦軍がこれを聞いて退いたという説は誇張として採られていない。
燕王の代替わり
信陵君、兵符を奪って趙を救う
- もとより魏公子無忌は仁愛深く、士をへりくだって遇し、食客三千人を集めていた。
- 大梁の夷門の番人侯嬴は、七十歳の貧士だったが、公子は自ら車の左座を空けて迎えに行き、礼を尽くした。
- 侯嬴はわざと市場の屠者朱亥の所に寄らせ、長く立ち話をして公子の度量を試した。公子は少しも色を変えなかった。
- やがて趙からの使者が相次いで信陵君を責めると、公子は魏王に何度も晋鄙への救援命令を求めたが、許されなかった。
- そこで食客百余乗を率いて自ら趙へ死にに行こうとしたが、夷門を過ぎて侯嬴を訪ねると、侯嬴は「そのままでは飢えた虎に肉を投げるようなものだ」と止めた。
- そして、兵符は王の寝所にあり、寵姫の如姫なら盗み出せる、彼女は以前に父の仇を討ってくれた公子のためなら死ねる、と策を授けた。
- 公子はその言葉通り如姫から虎符を得た。侯嬴はさらに、「晋鄙は符が合っても兵を渡さないかもしれない。そのときは力士の朱亥を連れて行け」と言った。
- 公子は朱亥とともに鄴へ行き、晋鄙に兵符を示した。晋鄙は疑い、「十万の兵を国境に屯させているのに、単車で来て交代とはどういうことか」とためらった。
- 朱亥は袖に隠した四十斤の鉄椎で晋鄙を打ち殺した。
- 公子はそのまま軍を掌握し、「父子ともにいる者は父を返し、兄弟ともにいる者は兄を返し、独子は帰して養わせる」と命じ、精兵八万人を選んで進軍した。
- 王齕は長く邯鄲を囲みつつ抜けず、諸侯の救援も加わってたびたび不利となっていた。
- 白起はこれを聞き、「だからこそ、もともと自分の策を用いるべきだったのだ」と語ったため、秦王はいよいよ怒り、無理にでも起たせようとしたが、白起は病を口実に応じなかった。