資治通鑑周紀三 赧王 四年 前312年

蜀で内紛

  • 蜀では秦が任じた相が蜀侯を殺した。

張儀、楚で危機を脱する

  • 秦の惠王は楚の懷王に使者を送り、武関以外の地と楚の黔中とを交換したいと申し入れた。
  • 楚王は土地交換を望まず、張儀の身柄を渡せば黔中を与えると言った。
  • 張儀はこれを聞き、自ら楚へ行くことを願い出た。
  • 秦王は、楚が張儀に強い恨みを抱いていることを心配したが、張儀は、楚は秦より弱く、自分は楚王の寵臣靳尚と、その靳尚に近い鄭袖を味方にできると答えた。
  • 楚に着いた張儀は捕らえられ、殺されかけた。
  • そこで靳尚は鄭袖に、秦王は張儀を非常に惜しんでおり、上庸六県と美女を代価に取り戻そうとしている、そうなればあなたは地位を失うと吹き込んだ。
  • 鄭袖は毎日泣いて楚王に、張儀を殺せば秦が怒り、自分たち母子は江南へ追われて秦に食い物にされるだろうと訴えた。
  • 楚王は張儀を赦し、厚く礼遇した。

張儀、楚を再び説く

  • 張儀は楚王に、合従で秦に対抗するのは群羊で猛虎を攻めるようなものだと説いた。
  • 秦には西の巴蜀があり、船を整え食糧を積み、岷江を下れば十日もせず扞関に達するから、扞関が動揺すればその東方はすべて防備に追われ、黔中や巫郡も保てなくなると警告した。
  • また、武関から秦軍が出れば楚の北地は断たれ、諸侯の救援を待つころには国が危うくなると述べた。
  • そのうえで、秦と楚が長く兄弟国として争わぬ関係になるよう取り計らうと約した。
  • 楚王は張儀の身柄は得たが、黔中の割譲は惜しくなり、最終的に彼の提案を受け入れた。

張儀、韓を説く

  • 張儀は韓に赴き、韓の地は険悪で山が多く、穀物生産も乏しいうえ、備蓄は二年もたず、動員兵力も二十万ほどにすぎないと説いた。
  • それに対し秦は百余万の武装兵を持ち、山東諸国の兵が完全武装してようやく戦うところを、秦兵は甲を捨て裸同然で敵に突進し、片手に首、片手に捕虜を抱えるような猛兵だと誇張した。
  • もし韓が秦に従わなければ、秦は宜陽・成皋を押さえて韓を分断し、鴻台宮や桑林苑も韓王のものではなくなると脅した。
  • 最良の策は秦に従って楚を攻め、禍を転じて秦を喜ばせることだと結論づけ、韓王はこれを受け入れた。
  • 張儀は秦に戻って報告し、六邑を封じられて武信君となった。

張儀、斉・趙・燕を説く

  • さらに張儀は東に向かい、まず斉王に対して、いまや秦と楚は婚姻で結ばれ、韓は宜陽を、魏は河外を差し出し、趙は入朝して河間を割譲しているのだから、斉だけが秦に従わねば南境を攻められ、清河を渡った趙兵に博関から臨菑・即墨を脅かされると説いた。
  • 斉王もこれを受け入れた。
  • 張儀は続いて趙王に、趙が十五年間秦を函谷関の内に押し込めていたことは認めつつも、今や秦は巴蜀・漢中・二周を包み、白馬津を守る大国となっていると語った。
  • 秦は澠池に兵を置き、河を渡り漳を越えて畨吾に迫り、さらに韓・魏・斉と合して趙を四分しうると威嚇した。
  • いま楚は秦の兄弟国で、韓・魏は東藩、斉も魚塩の地を献じたのだから、趙は右肩を断たれたようなものだとして、秦王と直接盟約を結ぶよう勧めた。
  • 趙王もこれを受諾した。
  • 張儀はさらに燕王にも同様に語り、趙王が朝貢し河間を献じたという虚勢を用い、秦が雲中・九原から南下すれば易水・長城も守れないと脅した。
  • 燕王は常山の末端部にあたる五城を献じて講和を求めた。

秦で王交代、合従再燃

  • 張儀が咸陽に戻る前に、秦の惠王が死に、子の武王が立った。
  • 武王は太子の頃から張儀を好まず、即位後は群臣もこぞって彼を中傷した。
  • 諸侯も秦王と張儀の不和を知ると、連衡を捨てて再び合従へ傾いた。