說唐第四十一回 甘泉関で諸王が集い、李元覇は独り玉璽を手にする (甘泉關眾王聚會  李元霸王璽獨收)

李淵の即位

唐公李淵は煬帝弑逆の報に哭礼し、恭帝侑からの禅譲を受けて帝位に即き、国号を大唐、元号を武徳と定めた。建成を殷王・太子、世民を秦王、元吉を斉王、元霸を趙王とし、李靖・馬三保・殷開山・長孫無忌ら群臣もそれぞれ封じられた。恭帝は譙国公に格下げされた。李靖は高祖に暇を告げ海外へ旅立った。

十八邦連合軍と李元霸の別動

西魏王李密は宇文化及の簒奪に怒り、矯詔を発して各地の反王を甘泉関に集め、宇文化及討伐の兵を挙げさせた。ただ李淵の唐軍だけは会合に加わらず、独自に宇文化及の背後を突いていた。実は高祖が李密の矯詔を受け、伝国玉璽奪還と宇文化及誅殺のため李元霸を潼関から派遣していたのである。

甘泉関では十八邦の中から都元帥を選ぶため、閉じた関門を三度呼んで開けられた者を推すことになり、程咬金がひと声で関を開けさせ、十八邦都元帥に推挙された。

宇文化及の滅亡と玉璽争奪

連合軍百八十万が江都に迫ると、宇文化及は蕭后らを連れて淮水方面へ逃走、揚州は宇文士及の投降で陥落した。一方、潼関では宇文成都が李元霸に立ち向かうが、素手で真っ二つに引き裂かれて敗死。逃走中の宇文化及も、李元霸に行く手を阻まれたのち竇建徳に斬られて最期を遂げた。蕭后は竇建徳に捕らえられ、伝国玉璽は李密の手に渡った。

紫金山に入った連合軍の前に李元霸が立ちはだかり、玉璽の献上を要求。抵抗する諸将を蹴散らし(羅成も槍を折られて敗走)、諸王に降表を書かせる。跪くことを拒んだ淨秦王徐元朗は素手で引き裂かれて殺され、竇建徳(李元霸の母方の伯父にあたる)も已むなく跪いて降表を差し出した。百八十万の兵は六十二万にまで減じ、諸王は各国へ引き上げた。

李密は竇建徳が捕らえた蕭后を惜しみ、真珠烈火旗との交換を程咬金に託した。