說岳全傳第四十五回 老鸛河を掘り通し兀朮は逃げ延び、都を臨安郡に遷し岳飛は郷里に帰る (掘通老鸛河兀朮逃生 遷都臨安郡岳飛歸里)

秀才の献策で兀朮脱出

  • 秀才は「北へ十里余りの老鸛河へ通じる旧水路を掘り開け、秦淮の水を引けば建康へ抜けられる」と献策する。兀朮は喜んで礼をしようとするが、秀才は名も名乗らず立ち去った。番兵は一夜で水路を掘り通し、船を捨てて陸路建康へ逃げ延びた。
  • 韓世忠は十日余り経ってようやく敵が逃げたことに気づき地団駄を踏む。道悅禅師の偈語が「老鸛河走」の隠し文字だったと悟るが後の祭りであった。梁夫人は「油断の咎もある」と指摘し、韓世忠は自ら罪を上奏しつつ漢陽江口に引き上げた。

岳雲、天長関で偽の兀朮を捕らえる

  • 建康から天長関に逃げてきた兀朮は、待ち構えていた岳雲(十三歳)に一騎打ちで捕らえられる。しかしこれは兀朮の身代わり・高太保であり、本物の兀朮はわずか三百六十騎で本国へ逃げ帰った。
  • 岳飛は捕らえたのが偽者と知り激怒し岳雲を斬罪に処そうとするが、折しも訪ねてきた韓世忠が「自分も同じく身代わりを捕らえた、金人の詐術と天運によるもので岳雲の罪ではない」ととりなし、岳飛は岳雲を赦した。

金陵入城と遷都論争

  • 岳飛と韓世忠は和睦を確認し、共に班師することを約す。岳飛の軍は金陵に入り高宗に謁見、慰労の宴を受ける。
  • 臨安の苗傅・劉正彦から宮殿完成を理由に遷都を願う上奏があり、高宗はこれを許す。李綱は建康にとどまり中原回復を図るべきと強く諫めるが容れられず、失望して致仕し無断で帰郷した。
  • 岳飛も遷都に反対し、旧都に留まり北伐を進言するが、高宗は和議による休息を望み聞き入れない。岳飛は母の病を理由に帰郷を願い出て許され、諸将も相次いで帰郷の許しを得る。高宗は韓世忠を威安郡王に封じ潤州に留め、遷都を諫められることを避けた。
  • 高宗一行は臨安に遷り、紹興元年と改元。苗傅・劉正彦は左右都督に任じられた。

兀朮、秦檜を利用する策

  • 帰国した兀朮は敗戦の責を問われ処刑されかけるが、軍師・哈迷蚩の弁明で赦される。哈迷蚩は「宋の忠臣を殺したのが敗因、今度は奸臣を利用すべき」と献策し、かつて金に囚われながら唯一命乞いをして生き延びた秦檜を探し出し、恩を売って本国に送り込みスパイに仕立てる策を進言、兀朮はこれを喜んで受け入れた。