戰國策燕策(二)(燕二)

蘇代、燕王の入秦を諫める

  • 秦が燕王を召還しようとし、燕王が赴こうとした。蘇代は「楚は枳の地を得て国を失い、斉は宋を得て国を失った。功のある者こそ秦の深い仇敵となる」と述べ、秦が天下に対して行ってきた威嚇(楚・韓・魏それぞれに対する具体的な攻撃可能ルートの誇示)を列挙した。さらに秦が宋・斉・魏・楚・燕・趙それぞれに矛先を偽って安心させ、次々と裏切ってきた実例を挙げ、三晋の民が秦に殺された数百万に及ぶ惨状を訴えた。燕昭王はこれを容れて入秦をやめ、蘇代は再び燕で重んじられた。燕は再び諸侯合従を結び、蘇代・蘇厲は長く諸侯に名を知られた。

蘇代、奉陽君のために斉と趙を離す

  • 蘇代は奉陽君のために燕に斉討伐の連携を説いたが、奉陽君は聞き入れず、蘇代は斉へ入って趙の悪評を広め、斉と趙を絶交させた。その後燕に戻り、奉陽君に対する斉側の疑惑や自らの立場の危うさ(智伯を滅ぼした張孟談ほどの器量はない、と自らを卑下しつつ)を説明し、斉と趙の離間を完遂する覚悟を示した。

奉陽君、朱讙と趙足に語る

  • 奉陽君は斉王の使者の言葉(韓珉の召還、蘇子の処遇など)を朱讙・趙足に語り、蘇子への疑惑と自らの怒りを述べた。伊尹や伍子胥が旧主を離れてのちに大事を成した故事、管仲・孔子・張儀・白珪ら賢者が難を逃れて後に名を成した例を引き、斉と趙の関係を裂くためなら死や逃亡も辞さないと語った。結果、斉は趙と絶交し、趙は燕と結んで斉を攻め、これを破った。

蘇代、淳于髠を介して斉王に取り入る

  • 蘇代は斉王に会う前に淳于髠を「駿馬の鑑定を求める伯楽」に例え、自らの推挙を頼んだ。淳于髠はこれを容れ、蘇代は斉王に大いに気に入られた。その後蘇代は燕昭王のために画策し、燕軍を晋の地に進めさせつつ斉に「燕軍は弱いので蘇子を将として当たらせよ」と勧めさせ、斉の閔王は蘇子(代)を将として燕と戦わせた。戦いはわざと負けを重ね、斉軍は疲弊し、最終的に楽毅の大攻勢へとつながる布石となった。

蘇代、燕王への上申書

  • 蘇代は燕王に書を送り、自らが斉で貴ばれれば燕の大夫に信じられず、賤しめられれば軽んじられるという板挟みの立場を述べ、五年にわたり斉・燕・趙の関係を操ってきた経緯を説明した。
  • その後、燕王が弟を斉への人質として送ろうとした際、太后がこれに激怒したが、大夫の陳翠は「諸侯に嫁がせる娘には千金・百里の地を持たせる。人質として送ることも功として封地を得る道である」と説き、太后を納得させた。

燕昭王、斉出身の臣に含みを持たせる

  • 燕昭王が斉討伐を決めた際、斉出身で燕に仕える臣に対し「反対してもよい、聞き入れられなければ斉へ去ってよい、後日また和睦することもあろう」と告げ、両属的な余地を残した。

燕の飢饉と趙の攻撃、および楽毅の斉討伐と離間

  • 燕が飢饉に見舞われ趙が乗じて攻めようとした際、楚の使者が魏を経て趙恢に会い、「禍を未然に防ぐ方が事後の対処より優る」(伍子胥・宮之奇・燭之武・張孟談の例)と説き、さらに「呉が斉の飢饉に乗じて攻めた隙に、越が呉を滅ぼして覇者となった」故事を引いて、趙が燕を攻めれば強秦が漁夫の利を得ると警告した。趙王はこれを容れて攻撃を中止し、燕昭王はその使者に領地を与えて称えた。
  • 燕昭王は昌国君楽毅を将として五国の兵を率い斉を攻め、七十余城を落として燕に併せたが、莒・即墨・聊の三城のみ落ちぬまま昭王が没した。恵王が即位すると斉の反間の計により楽毅は疑われ、騎劫に交替させられた。楽毅は趙に奔り望諸君に封ぜられ、斉の田単は騎劫を欺いて燕軍を破り、七十城を回復した。
  • 恵王は後悔し、楽毅を責めつつ謝罪する書を送ったが、楽毅は返書(燕恵王に報ずる書)で、先王への忠誠、破斉の功業の経緯、伍子胥が呉王夫差に容れられず自尽させられた故事を引き、「賢明な君主は功を廃さず、名を成した者は毀たれない。免れて功を全うすることこそ臣の上策であり、先王の名を汚すことを恐れる」と述べ、趙に留まる道を選んだ理由を述べた。

山東諸国の連携を説く書

  • ある者(別人からの上書)が燕王に対し、「比目魚のように二つで一つになってこそ動ける」「車を引く際に人数を合わせねば進まない」「胡と越の人でも同舟なら助け合う」との喩えを引き、山東諸侯が互いに争い合従できていない現状を嘆いた。秦が三晋を討てば楚を伐ち、楚を討てば燕を伐つという情勢の連動を指摘し、燕に対し韓・魏の西辺に密かに兵を出して守らせるよう勧め、燕はこれに従って兵を出した。

客、燕王に斉の疲弊策を説く(蘇子の宋討伐煽動)

  • 客が燕王に、斉が楚を破り秦を屈服させ韓魏の兵まで用いて燕趙を鞭のように使っている現状を憂え、直接戦わず密かに遊説の士を送って斉軍を疲弊させる策を勧めた。蘇子(蘇代)はこれを十年で成すと請け、斉に赴いて斉王に「無道な宋(天を射て地を笞ち、諸侯の像を辱める)を討つべきだ」と説いた。斉王はこれを容れて宋を討ち滅ぼしたが、燕はこれを機に斉と絶交し、諸侯を率いて斉を大破した。

蘇代、鷸蚌の喩えで趙の燕攻撃を止める

  • 趙が燕を討とうとした際、蘇代は趙の恵王に「易水で蚌と鷸が互いに譲らず争ううちに漁師に両方とも捕らえられた」との喩え話(鷸蚌の争い)を語り、燕・趙が互いに疲弊すれば強秦が漁夫の利を得ると説いた。恵王はこれを容れて攻撃をやめた。

斉と魏が燕を争う

  • 斉と魏がそれぞれ「趙との連携を得た」と燕王に主張し、燕王は判断がつかなかった。蘇子は燕の相に「言葉が謙って贈り物が重い者は天下を失い、言葉が驕って贈り物が軽い者は天下を得る」と説き、言葉の驕った魏の方を選ぶべきだと助言した。燕はこれにより魏と結んで趙を得、斉は退けられた。