戰國策燕策(一)(燕一)

蘇秦、燕文侯に合従を説く

  • 蘇秦は燕の地勢(朝鮮・遼東、林胡・楼煩、雲中・九原、呼沱・易水を擁す)と兵力・食糧の豊かさを説き、燕が趙という盾のおかげで秦の侵攻を免れていると指摘した。趙が秦と互角に戦っている間に燕は無傷でいられるとし、諸侯合従に加わるよう文侯に勧めた。文侯はこれを容れ、蘇秦に車馬・金帛を与えて趙へ送った。

奉陽君李兌と蘇秦

  • 趙の実力者奉陽君李兌は蘇秦を快く思わなかったが、人を介した蘇秦の説得(斉と燕が結べば趙は軽んじられる、という論法)で疑心を利用され、蘇秦との誼を結ぶこととなった。
  • その後燕は趙との連携に失敗し、噲子は文公に、斉に領地を提供してでも斉と単独講和すれば趙が救援に動くはずだと進言。文公はこれを容れ、郭任を遣って斉に地を求めさせたところ、趙はこれを聞いて出兵し燕を救った。
  • 燕文公の代、秦の恵王は娘を燕太子の妃とした。文公没後に易王が立つと、斉の宣王は燕の喪に乗じて攻め、十城を奪った。武安君蘇秦は斉王に対し慶賀と弔意を同時に示す逆説を用い、「毒草を食らうような愚を避けよ」と説いて十城を燕に返還させた。斉王はこれを喜び、金千斤を添えて謝罪し、兄弟の誼を結んで秦にも謝罪を願い出た。

蘇秦、燕王への讒言に弁明

  • 蘇秦を燕王に讒言する者があり、燕王は斉から帰った蘇秦を賓客として遇さなかった。蘇秦は「尾生・伯夷・曽参のような愚直な信・廉・孝の士では、遠く弱小の燕のために奔走できない」と説き、忠信を尽くしてなお疑われた自らの立場を、毒酒と知りつつ主人を守るためわざと転んで盃を落とした婢女の故事に喩えて弁明した。

張儀、燕王に事秦を説く

  • 張儀は連衡策を説き、趙王がかつて金の斗で代王を謀殺した非情な故事を挙げて趙は頼みにならないと述べ、燕が秦に服属すべきだと勧めた。燕王はこれを容れ、常山の尾の五城を献じて秦に事えることとした。

宮他の魏使

  • 宮他が燕の使者として魏に赴いたが数月留め置かれた。客が魏王に「乱れているからこそ大きく取れる」と説いたところ、魏王はこれを納得し燕の使者を通させた。

蘇代、燕王噲に外交策を説く

  • 蘇秦の死後、弟の蘇代が燕王噲を訪ね、「斉・趙は仇敵、楚・魏は援国であるのに、仇敵に力を貸し援国を討つのは燕の利にならない」と諫めた。燕王は斉への深い恨みを語り、蘇代は「弱国燕は南は楚、西は秦、中は韓魏と結んでこそ重んじられる」と説き、斉王が驕り国力を消耗している隙を突くべきだと勧めた。

燕王噲、子之に位を譲る

  • 蘇秦の死後、燕では相の子之が権勢をふるった。蘇代は斉の使者として燕に赴き、「斉王は覇者たりえない、臣下を信じないからだ」と述べ、燕王の子之への信任をかえって強めた。鹿毛寿は堯が許由に天下を譲った故事に例え、燕王に国を子之へ譲るよう勧め、燕王は実権をすべて子之に委ねた。
  • 禹が益に位を授けたが実際には啓が奪ったという故事も引かれる。子之が三年統治すると国は乱れ、将軍市被と太子平が子之討伐を企てるが失敗し、太子平も殺され、内乱は数月に及んで数万人が死んだ。斉の孟軻(孟子)は宣王に燕討伐を勧め、斉は燕を大破。燕王噲と子之は死に、その後、公子平が立って燕昭王となった。

蘇代・蘇厲、斉に留まる

  • 蘇秦の弟蘇厲は燕の人質を通じて斉王に近づいたが、斉王は蘇秦を恨んで厲を囚えようとした。人質の謝罪で事なきを得た厲は斉に臣従した。子之の乱の後、蘇代・蘇厲は燕に戻れず斉に留まったが、魏で蘇代が捕えられた際、斉が秦・魏間の駆け引きにより代を宋へ送り出し、宋はこれを厚遇した。

燕昭王、賢者を招く(郭隗の故事)

  • 斉に大敗した燕を継いだ昭王は身を低くして賢者を招こうとし、郭隗に相談した。郭隗は「死馬の骨を五百金で買った」故事を引き、まず自分(隗)を厚遇すれば、より優れた人材が集まると説いた。昭王は隗のために宮を築いて師とし、楽毅(魏)・鄒衍(斉)・劇辛(趙)らが集まった。昭王は民と苦楽を共にし、二十八年で燕は富強となった。楽毅を上将軍として秦・楚・三晋と結んで斉を討ち、斉の閔王は出奔、燕軍は臨淄まで攻め入り、莒・即墨を除く斉の全土を得た。

蘇代、燕昭王に「三帝」の策を説く

  • 斉が宋を攻めて急を告げると、蘇代は昭王に書を送り、燕が斉に従属しても信を得られず、宋討伐に加担すれば斉のみが利を得て燕は疲弊すると説いた。転禍為福の故事(紫の布の高値、勾践の会稽の恥辱からの復興)を引き、秦・趙・燕がそれぞれ西帝・中帝・北帝を称して連携し韓魏を従わせ、斉を圧倒する策を提案した。昭王はこれを喜び、子之の乱で燕を去っていた蘇氏一族を呼び戻して斉討伐の謀を共にし、ついに斉閔王を敗走させた。

蘇代、燕昭王に忠信の限界を説く

  • 蘇代は「曽参の孝・尾生の信・鮑焦や史鰌の廉のような徳目は、それ自体では進取の道具にならない」と説き、自らは忠信より事を成す実利を重んじる立場だと述べた。烏獲の力の喩えを引きつつ、斉が宋・楚との戦いで疲弊する隙に乗じて斉軍を破り河間を取る策を進言した。昭王はこれを喜んで上卿に任じ車百乗を与えようとしたが、蘇代は「近親にすら与えぬものを無能な臣に与えるのは信頼が足りぬ証」と述べ、忠信を尽くすがゆえに讒言を受ける恐れがあると懸念を示した上で使いに立った。

蘇代、燕王の疑いに答える(媒酌の喩え)

  • 燕王が「佞人(へつらう者)の言葉が嫌いだ」と言うと、蘇代は「未婚の女が媒酌なしに自ら売り込めば嫌われて売れ残る。物事は権勢と時勢がなければ成らず、それを取り持つのが佞人の役目だ」との喩えで応じた。燕王はこれに納得した。