戰國策燕策(三)(燕三)

斉・韓・魏、燕を共攻す(楚将景陽の智略)

  • 斉・韓・魏の三国が燕を攻め、燕の太子は楚に救援を求めた。楚将景陽は救援に赴くが、夕方の宿営地選定で洪水の危険を見抜き(目印の杭を立て替えさせた)、翌日実際に大水が出て他の陣は流された。楚は結局燕へは直接援軍を送らず、魏の雝丘を攻めて宋に与え、これを見た三国は恐れて兵を退いた。景陽は昼は車騎、夜は松明で魏との内通を装う計を用いて斉を欺き、斉軍を退かせ、魏軍も夜のうちに逃げ、楚軍も引き上げた。

張丑、人質として逃れる

  • 燕に人質として捕らえられていた張丑は、殺されそうになり国境を出ようとしたところを国境の役人に捕らえられた。張丑は「自分を殺せば燕王には自分が珠を盗んで呑み込んだと言いふらす、そうすれば役人お前も腹を裂かれることになる」と脅し、役人はこれを恐れて張丑を釈放した。

燕王喜の趙攻め、楽間の忠告と楽毅の子の顛末

  • 燕王喜は栗腹を趙の孝成王への祝賀の使者に送ったが、栗腹は「趙の壮丁は長平で多くが戦死し、いま攻めれば勝てる」と報告した。昌国君楽毅の子・楽間は「趙は四方に通じる強国で民は皆兵に慣れており、攻めるべきではない」と諫めたが、燕王は聞かず大軍を興し、栗腹・慶秦・廉頗・楽乗らが各地で衝突し、結果として燕軍は大敗し楽間は趙に奔った。
  • 燕王は書を送って楽間に謝罪し、柳下恵が三度退けられても旧国を離れなかった故事を引いて翻意を促したが、楽間らは趙に留まり返答しなかった。
  • その後秦が趙を併合すると燕はこれを秦に祝賀しようとしたが、使者は趙に捕らえられた。使者は秦王に対し「趙が燕まで併せれば秦への脅威となる、燕を存続させる方が秦の利益になる」と説き、秦王はこれを容れて兵を出し燕を救った。

燕太子丹、荆軻を遣わし秦王を刺す

  • 秦の人質であった燕太子丹は逃れて帰国したが、秦が六国を滅ぼす勢いで易水に迫るのを恐れ、太傅鞫武に相談した。鞫武は軽挙を戒めたが、秦から亡命してきた樊於期将軍を匿う件では危険を説き、匈奴への逃避や三晋・斉楚との連携を先に図るべきだと諫めた。太子丹はこれを容れず、鞫武は田光先生を推挙した。
  • 田光は自らの老いを理由に、代わりに荆軻を推挙し、太子への密議漏洩を防ぐため自刎して果てた。太子丹は荆軻に、秦王を曹沫が桓公を脅した故事のように刼して諸侯の失地返還を約させるか、それが叶わねば刺殺することを依頼した。
  • 準備として、秦から重賞を懸けられていた樊於期の首(樊於期自身が納得し自刎して提供)と、燕の督亢の地図、趙人徐夫人の作った毒を塗った匕首を整え、秦舞陽を副とした。易水での別れの際、荆軻は「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還」と歌い、一同は涙した。
  • 秦の咸陽宮において、荆軻は地図を広げ隠していた匕首で秦王を刺そうとしたが失敗し、逆に斬られて死んだ。秦は怒って燕を攻め、薊を落とし、燕王喜と太子丹は遼東に逃れたが、燕は太子丹を殺して秦に差し出すも許されず、五年後に秦は燕を滅ぼし燕王喜を捕虜とした。後に荆軻の友人高漸離が筑を用いて秦の始皇帝を撃とうとしたが失敗し、殺された。