雍氏の包囲と秦の救援
- 楚が韓の雍氏を五ヶ月囲み、韓は秦に救援を求めたが秦は動かなかった。宣太后は使者に「先王の寵愛すら見返りがあってこそ耐えられた、援軍にも利がなければ出せない」と率直に述べた。甘茂は秦王に「韓を見捨てれば韓は楚と結び、韓魏楚が結束して秦を攻める形勢になる」と説き、秦はついに援軍を出した。
冷向の借援策
- 楚が雍氏を囲んだ際、冷向を通じて秦の援軍を求めたが、公孫昧は「秦は表向き韓を救う体裁を取りつつ、実際は韓魏を疲弊させて漁夫の利を得ようとしている」と分析し、公仲に慎重な対応を勧めた。
領地交換をめぐる史惕の献策
- 公仲が魏と領地を交換しようとし公叔が反対した際、史惕は「楚趙にこの交換の不利益を告げれば、両国が動いて交換自体を頓挫させられる」と進言した。
韓王への進言(人質策)
- 錡宣は韓王に、秦の公子・襄子を人質として韓に迎えさせることで、秦が三川を狙わない証を示させる策を献じた。
襄陵の役
- 畢長は公叔に、兵を用いずとも楚魏双方に恩を売る策を説き、太子・昭陽・梁王のいずれからも恩義を得ることに成功した。
馮君の抑留回避
- 公叔が馮君を秦へ遣った際、抑留を恐れた陽向は秦王に「馮君を厚遇し韓に返す方が、公叔と太子の対立において韓に有利な均衡を保てる」と説いた。
武遂をめぐる駆け引き
- ある者は公叔に、楚を恐れさせつつ密かに秦へ武遂の返還を求める二段構えの策を進言した。
漏れ舟の喩え
- ある者は公叔に、「舟の漏れを塞がずに大波を軽んじれば沈む」譬えを引き、秦の力を侮らぬよう戒めた。
周最の鄭派遣をめぐる駆け引き
- 斉が周最を鄭へ遣り韓擾を立てて公叔を廃そうとした際、史舍は「周最にわざと気の進まない態度を取らせれば、鄭王もこの企てを急がないと悟る」と進言し、公叔は周最を重んじることでこの企てを阻止した。
鄭強の機知
- 韓の公叔と幾瑟が国を争った際、鄭強は楚のため「新城陽人の地を太子に与えたのは国のためだった」と弁じ、罪を免れた。
中庶子の進言(未採用)
- 公叔と幾瑟の争いにおいて、中庶子は太子に「斉軍が入る前に先手を打つべき」と進言したが聞き入れられず、結局太子は敗れて出奔した。
齊明の駆け引き
- 齊明は公叔に、斉楚の関係を利用して幾瑟を追い詰める策を説いた。
幾瑟殺害をめぐる助言
- 公叔が幾瑟を殺そうとした際、ある者は「幾瑟が死ねば太子は安心して公叔を軽んじるようになる、殺さず太子を牽制する材料として残すべき」と進言した。
- 宋赫も同様に「幾瑟(伯嬰)を生かしておけば、秦楚も韓の大夫もそれぞれ牽制し合い、乱を起こす力を持てなくなる」と説いた。
新城君への進言
- ある者は新城君に、楚に人質を求めさせることで、公叔・伯嬰双方に「秦楚は幾瑟を担ぐ気がない」と悟らせ、韓を秦楚双方に結びつける策を説いた。
胡衍の重層的な策
- 胡衍は幾瑟を楚から出す工作の中で、魏王・楚王それぞれに異なる説得を行い、公子咎の擁立や幾瑟の帰国を巧みに操作した。
冷向、幾瑟の帰国を図る
- 冷向は韓咎に、楚の大軍を利用して幾瑟を鄭へ送り込む策を献じた。
伯嬰をめぐる駆け引き
- 楚が景鯉を韓へ入れ伯嬰(幾瑟)を秦へ送ろうとした際、冷向は伯嬰に「秦に入れば秦は楚と結んで幾瑟の復権を図る、太子はかえって見捨てられる」と警告した。
韓咎の即位と史疾の弁(鵲と烏の寓話)
- 韓咎の即位が定まらぬ中、綦母恢は策を献じた。史疾は楚で「列子圉寇の教えは『正』を貴ぶ」と述べ、盗賊が横行するのに官職名だけが立派な楚の実態を、「鵲を烏と呼んでも鵲は鵲のまま」の寓話で皮肉った。
聶政、韓傀を刺す
- 韓の相・韓傀と厳遂が不仲になり、厳遂は刺客・聶政に接近した。聶政は当初、老母への孝養を理由に固辞したが、母の死後、厳遂の厚遇に応えて単身で韓へ赴き、東孟の会で韓傀を刺殺、誤って哀侯にも及んだ。聶政は正体を隠すため自ら顔の皮を剥ぎ目をえぐって絶命した。
- 姉の聶嫈は遺体を認めても身の危険を恐れず「弟の名を汚さない」と名乗り出て共に命を絶ち、その気高さは後世まで語り継がれた。