戰國策魏策(一)(魏一)

知伯の滅亡(魏の視点)

  • 知伯が魏桓子に理由なく領地を求めた際、任章は「与えれば知伯は驕り他国も警戒して結束する、驕りが招く滅亡を待てばよい」と説いた。桓子はこれに従い、後に知伯は趙を攻めて韓魏の裏切りに遭い滅んだ。

韓趙の争いと魏文侯の中立

  • 韓趙がそれぞれ魏に援兵を求めた際、文侯は「両国と兄弟の誼がある」としてどちらにも加担せず、結局両国とも兵を得られず怒りを収め、後に文侯の公平さを知って共に魏に朝貢した。

楽羊の忠と文侯の疑い

  • 楽羊が中山を攻めた際、その子が敵に殺され羹にして送られたが、楽羊はこれを平然と食べた。文侯はその忠義を賞したが、内心では「わが子の肉すら食べる者が誰を食べないだろうか」とその冷酷さを危惧した。

西門豹への戒め

  • 西門豹が鄴の令として赴任する際、文侯は「人の美点を隠し欠点を誇張する者に惑わされず、賢良の士を師とせよ」と戒めた。

文侯、狩猟の約束を守る

  • 文侯は雨の中でも猟の約束を守って自ら出向き、この誠実さによって魏は強国となったと評された。

田子方の諫言

  • 文侯が音楽を楽しみ鐘の音の不調和を指摘した際、田子方は「君主が政に明るければ音楽など気にせず済むはず」と諫め、文侯は納得した。

呉起の国防論

  • 魏武侯が黄河の険しさを頼みとした発言に対し、呉起は「三苗・夏桀・殷紂もみな険阻な地形を恃みながら不徳のため滅んだ」と説き、地形より政治の善し悪しが国の存亡を決めると諫めた。武侯は感服し、西河の政をすべて呉起に委ねた。

公叔痤の謙譲

  • 公叔痤が戦功を挙げた際、部下(巴寧・爨襄)や先人(呉起)の遺した功績によるものだと述べて賞を辞退し、王はその人柄に感心してかえって厚く賞した。

公叔痤、公孫鞅を推挙する

  • 公叔痤は病床で恵王に、公孫鞅(後の商鞅)を重用するか、用いないなら国外へ出さぬよう進言したが、王は取り合わず、公孫鞅は秦へ逃れて秦を強くし、結果的に魏は弱体化した。

蘇秦の合従説

  • 蘇秦は魏王に、越王勾践や周武王が少数の兵で大国を破った例を引き、魏の強大な軍事力(甲兵二十余万など)を活かせば秦に屈する必要はないと説き、魏王はこれに従い合従に加わった。

張儀の連横説

  • 張儀は魏王に、魏の地勢が「戦場」となる四分五裂の弱点を指摘し、合従の空約束より秦との連携が安泰だと説き、魏王はこれに従い秦へ服属した。

陳軫と犀首の駆け引き

  • 陳軫は犀首(公孫衍)に、燕趙からの誘いを装って諸国に自らの価値を競わせる策を説き、犀首は結果的に斉魏楚燕趙すべてから頼られる立場となり、魏の相に返り咲いた。

陳軫の処遇

  • 張儀の讒言を受けた陳軫について、左華は「張儀の言葉を逆手に取り、楚への足がかりとせよ」と助言し、陳軫はこれを実行した。

陳応の機転

  • 張儀が陳軫を魏の相に据えて陥れようとした企みを、陳軫の子・陳応が見抜き、父に仮病を使わせて難を逃れさせた。

張丑の諫言

  • 張儀が魏へ逃れようとした際、張丑は「年老いた妾が正妻に仕えるように、私も王にお仕えしてきた」と喩え、張儀の受け入れに反対し、王はこれに従った。

惠施の警鐘

  • 魏が秦韓と結び斉楚を攻めようとした際、恵施は「小事でさえ意見は割れるのに、大事について群臣が皆一致して賛成するのは怪しい」と警告した。

雍沮、張儀への攻撃を回避させる

  • 張儀が魏の相となり斉楚の怒りを買った際、雍沮は斉楚に、張儀を攻めれば結果的に張儀の秦との内通を証明することになり、攻めないことこそ張儀の策謀を挫くと説き、攻撃を回避させた。

張儀の魏秦兼相狙い

  • 張儀は魏王に、秦が三川を攻める間に魏が南陽を得れば韓が滅ぶと説き、自らの魏秦両国での重用を図った。

犀首、張儀の相位を利用する

  • 魏が張儀を相に据えようとした際、犀首はこれを警戒し、韓に「張儀は魏秦連携のため韓の南陽を犠牲にする」と説かせ、魏に張儀を見限らせて自らが相となった。

楚の六城提案と斉への対応

  • 楚が魏に六城を与えて共に斉を攻め燕を存続させようとした際、張儀はこれを妨げ、代わりに秦韓と結ぶ策を進言し、魏王はこれに従った。

徐州の役と伊闕の敗戦

  • 犀首は魏王に、斉と表向き結びつつ密かに楚と結ぶ二重外交を勧めた。後に秦が伊闕で魏軍を破った際、竇屢を介した和議交渉が行われ、周・奉陽君・穰侯の間の対立関係を利用して秦との講和条件を有利に導く策が講じられた。

公孫衍の機転

  • 斉王が燕趙楚の相と会見し魏を排除しようとした際、公孫衍は先手を打って斉王に接触し、三国が魏を謀っているとの誤解を解いて事を収めた。

綦母恢の助言

  • 公孫衍が秦との和議を求めた際、綦母恢は「多く割譲しなくても、和議が成れば秦は魏を重んじ、成らなくとも他に魏と秦を結べる者はいなくなる」と助言した。

公孫衍と相・田繻の不和

  • 公孫衍が相・田繻と不仲だった際、季子は魏王に「牛と駿馬を並べて車を牽かせても百歩と進めない」譬えを引き、将軍と相の方針が食い違えば国を損なうと諫めた。