斉のための上書
- ある斉の使者は趙王に、自らの弁が採用されなかったのは臣下の妬みや私心によるものだと述べ、斉と結べば燕韓魏を制し秦を孤立させられると説き、斉との連携を軽んじることの危険を訴えた。
李兌の秦との密約
- 斉が宋を攻めようとした際、秦がこれを妨げようとし、趙の李兌は五国連合で秦を攻めたが功を得られず、密かに秦と講和し、さらに魏を攻めて自らの封地を得ようとした。斉の使者は魏王に、趙がかつて魏の盾となった恩義を無にして今は秦と結んで魏を害そうとしていると説き、魏が斉との連携を深めるよう仕向けた。
宋攻めをめぐる駆け引き
- 斉が宋を攻めようとし秦楚がこれを妨げると、斉は公孫衍を通じて李兌に「宋を攻めれば奉陽君(李兌)の封地(陰の地)を得られる」と持ちかけ、李兌はこれに応じて斉との連携に傾いた。蘇代は斉王に、五国が秦攻めに失敗し趙が秦と結ぼうとしている状況を分析し、斉が宋を攻めれば結果的に陰の地は李兌のものになると説いた。
樓緩の悲観と忠誠
- 樓緩が秦への使者として発つ際、趙王に「二度とお目にかかれないでしょう」と告げた。後に中牟の反乱の報が入っても、趙王は樓緩との約束を信じて動じなかった。
虞卿、范座を利用した合従策
- 虞卿は趙王に、魏の合従の要である范座を魏に殺させれば合従の主導権が趙に移ると説いた。范座は魏王に上書し、生きた自分を活かして交渉に使う方が有益だと訴え、信陵君にも危機を訴えて助命を求め、釈放された。
馬服君(趙奢)の将軍論
- 燕が趙を攻めた際、趙は安平君(田単)を将として起用しようとしたが、馬服君は「安平君は斉の利害でしか動かない、燕への恩讐もない、趙が強くなりすぎれば斉自身の覇権が揺らぐため、あえて長期戦に持ち込み両国を疲弊させるだろう」と予見し、その通りの結果となった。
中山の地をめぐる駆け引き
- 三国が秦を攻める中、趙は中山の新領土を狙い、宋突は仇郝に、中山の地を斉に全て返還すれば、四国が衛から借道して斉を攻める企てを斉に警戒させられると説いた。
趙荘の処遇
- 趙荘が合従のため斉を訪ねた際、趙が趙荘を軽んじたため斉が土地の割譲を渋った。斉明はこれを見抜き、趙荘を再び重んじるよう趙王に進言し、王はこれに従った。
翟章の相国辞退
- 魏から来た翟章が趙王に厚遇され相に推されたが固辞した。田駟は韓向に、翟章を暗殺すれば建信君が疑われ罪に問われ、結果的に自分が相になれると持ちかけたが、殺さずとも交誼を保てば長く恩を売れるとも述べた。
廬陵君の追放をめぐる批判
- ある者は趙王に、燕の要求一つで弟の廬陵君を追放したことを、秦の要求(虞卿への言及)には応じなかった前例と対比させ、弱い燕を重んじ強い秦を軽んじる矛盾を指摘した。
馮忌の弁明
- 馮忌が趙王に謁見をためらった際、「浅い付き合いで深い話をするのは非礼」との批判に対し、堯が舜を見出した故事、伊尹が湯に用いられた故事を引き、真に有用な進言は交誼の深浅によらないと弁じた。
馬を買う喩え
- ある客は趙王に、馬を買うにも専門家に任せるのに、国政を建信君のような素人同然の寵臣に任せてよいのかと問い、寵臣が王の隙をついて私欲を満たす危険(桑雍の喩え)を説いた。
諒毅の弁論
- 秦が魏の寧邑を得た際、趙の祝賀の使者が三度拒まれた。弁の立つ諒毅を遣わすと、秦王は趙豹・平原君の処罰を要求したが、諒毅は「彼らは王の弟同然の存在、罰すれば秦王自身の葉陽君・涇陽君への情にも悖る」と説き、秦王を納得させ、両国の関係を保った。
姚賈の弁護
- 趙が姚賈を遣わし韓魏と結ばせようとした際、茅挙は趙王に「韓魏が姚賈を欲しがるのは彼が忠臣だからだ、追放すれば韓魏の思う壺だ」と説き、留任させた。
陘山の戦いと縁組工作
- 魏が楚を陘山で破った際、楚王は太子を薛公に委ねて和を図ろうとしたが、趙の主父はこれを妨げ、秦楚宋を結びつけて事を破らせた。
春平侯の抑留と交換案
- 秦が春平侯を抑留した際、泄鈞は文信侯(呂不韋)に、春平侯を帰し代わりに平都侯を留めれば、趙王が春平侯を通じてより多くの領土を秦に割くだろうと説いた。
触讋、太后を説く
- 秦が趙を攻め、斉への援軍要請の条件として長安君の人質を求めたが、太后はこれを拒み続けた。触讋は足の悪さを理由に穏やかに近づき、我が子の将来を案じる親心の話から始め、「父母が子を真に愛するなら、深く遠くまで考えて功を立てさせるべきだ」と説き、長安君に功績なく高位を与えるだけでは将来が危ういと諭した。太后は納得し、長安君を人質に出し、斉の援軍を得た。
李牧の死と趙の滅亡
- 秦の王翦が趙を攻めた際、李牧・司馬尚がこれを幾度も撃退したが、王翦は趙の寵臣・郭開に賄賂を贈って反間を仕掛け、趙王は李牧を疑って処刑し司馬尚を退けた。その結果、趙は間もなく秦に滅ぼされた。