犀首と田盼、趙攻めを成す
- 犀首(公孫衍)と田盼が斉魏の兵で趙を攻めようとした際、当初は梁君・斉侯が乗り気でなかったが、田盼は「難事に見せかければかえって二君を動かせる」と犀首に助言し、斉魏の兵を得て趙を大破した。犀首は自らの功を妨げようとした田需を退け、代わりに田嬰と結んで文子を魏の相に据えた。
蘇代、田需の処遇を説く
- 蘇代は魏王に、犀首(韓寄り)と張儀(斉寄り、原文は文=孟嘗君)がそれぞれ他国の利益で動く危険を説き、田需を側に置いて両者を牽制させれば、両者とも私心を隠して魏のために働かざるを得なくなると進言した。王はこれに従った。
史挙の讒言と犀首の逆用
- 史挙が犀首を王に讒言しようとした際、犀首は張儀を通じて「王に国を譲られても受けぬ許由のような態度を示せば、かえって名声が上がる」と仕向け、史挙の企ては不発に終わった。
成恢、韓王を説く
- 楚が魏の南方を攻め韓が薔を囲んだ際、成恢は韓王に「薔攻めを急げば楚が有利になり結局韓も危うくなる、薔を解放して魏と韓が結べば楚と対抗できる」と説いた。
恵子、魏惠王の葬儀延期を進言
- 魏恵王の葬儀当日に大雪が降り、太子は予定通りの決行を主張したが、恵子(恵施)は周の文王が悪天候の際に葬儀を延期して民に棺を見せた故事を引き、延期こそ先王への誠意だと説き、太子はこれに従った。
対秦策をめぐる長論
- 五国が秦攻めに失敗した後、斉が宋を攻めようとし秦がこれを禁じた際、ある論者は魏王に、秦との講和・対抗・中立それぞれの得失を詳細に論じ、秦の巧妙な離間策(斉魏を仲違いさせて漁夫の利を得る)を見抜くよう説いた。
恵施と犀首の外交使命
- 魏王が恵施を楚へ、犀首を斉へ、同格の使者として派遣した際、楚王はこれを重んじて恵施を郊外まで出迎えた。
太子出兵をめぐる進言
- 魏恵王が太子申に斉攻めを命じた際、ある客は公子理の傅に、太子が兵に不慣れで敗れれば公子理に有利になる(勝てば太子の徳、負ければ公子理の好機)と説いた。
馬陵の戦いと恵施の諫言
- 斉魏が馬陵で戦い、斉が大勝して太子申を殺し魏の十万の軍を全滅させた。魏王が斉への報復を望むと、恵施は「今は兵備がない、むしろ斉に朝貢する姿勢を見せて楚を怒らせ、楚に斉を討たせるべき」と説いた。魏王はこれに従ったが、張丑は「せっかくの勝機を逃す」と反対、結局田嬰は魏王と共に斉に朝貢し、これを恥じた趙が楚と結んで斉を徐州で大破した。
太子人質と朱倉の献策
- 恵施が魏太子鳴を斉の人質とした際、朱倉は王に仮病を使わせ、「斉王も老齢だから太子を帰せば恩を売れる、さもなくば楚に擁立された公子高に大義名分を与えるだけだ」と斉に説かせた。
田需への戒め
- 田需が魏王に重んじられた際、恵子は「柳の木は逆さに植えても生きるが、大勢で植えても一人が引き抜けば枯れる」譬えを引き、植えるより抜く方が容易だとして、田需に敵の多さを警戒するよう促した。
太子自ら相となる策
- 田需の死後、昭魚は蘇代に、張儀・薛公・犀首の誰かが相になることを懸念した。蘇代は「魏王は年配で賢明ゆえ、いずれも他国寄りの人物は用いまい、太子自らが相となるのが最善」と説き、その通りとなった。
蘇代、信安君の処遇を説く
- 秦が魏の相・信安君を召そうとした際、蘇代は秦王に、無理に召し出せば魏がかえって趙に頼り強くなると説き、信安君を魏に留めたまま重んじさせる方が秦の利になると進言した。
皮氏の攻防と三人成虎
- 秦楚が魏の皮氏を包囲した際、複雑な外交駆け引きの末、魏太子は楚の人質として留められた。龐葱は魏王に「三人が言えば市に虎がいると信じてしまう」譬えを引き、讒言に惑わされぬよう戒めたが、結局讒言が先に届いて太子は帰国できなかった。
梁王への戒め
- 梁王が諸侯を范台でもてなした際、魯君は禹の絶酒、斉桓公の美食、晋文公の美色、楚王の高台という四つの亡国の兆しを引き、梁王がこれらすべてを兼ね備えていることを暗に戒めた。