蘇子、忠臣の道を説く
- 蘇子は楚王に、仁人・孝子・忠臣それぞれの道を説き、大臣が賢者を妬んで排し、私腹を肥やして王への民の不満を助長するのは真の忠臣ではないと批判した。賢者を妬まず推挙することの難しさ(自らの地位を脅かす者を進んで登用する困難)を説き、王には臣下の妬みなき推挙を見極めるべきだと諫めた。
蘇秦の辞去の弁
- 蘇秦が楚に至り三日かけてようやく王に会えたが、すぐに辞去しようとした。理由を問われると「楚では食は玉より貴く薪は桂より貴く、取次は鬼より会い難く、王は天帝より会い難い。まるで鬼を食べさせられ帝に会うようなものだ」と皮肉り、王は引き留めを断念した。
陳軫、張儀の追放を諫める
- 楚王が張儀を魏へ追放しようとした際、陳軫は「不忠不信を理由にするなら、その者と初めから約束を結ぶべきではなかった。今さら追放すれば、大国の相を免職に追い込んだ形になり、諸侯に弱みを見せる」と諫めた。
張儀の美人計
- 貧窮した張儀が楚王に厚遇されず、晋(魏)へ行くと告げると、王は珠玉を与えて引き留めようとした。張儀は「鄭周の美女に及ぶ美人はいない」と焚きつけ、王の寵姫・南后と鄭褏はこれを恐れて張儀に賄賂を贈った。酒宴の席で張儀は南后・鄭褏を召させ、「天下の美人はこの二人に及ばない、先の発言は誑かしだった」と告白し、事なきを得た。
桓臧、昭雎と張儀の均衡を図る
- 秦恵王の死後、武王が張儀を退けると、楚は昭雎を疑い斉との連携に傾いた。桓臧は楚王に、張儀が魏韓の重臣(公孫郝・甘茂)と結べば楚方城が危うくなると説き、昭雎を復権させつつ張儀も重んじることで均衡を保つべきだと献策した。
惠施の処遇
- 張儀に魏を追われた惠施が楚へ亡命すると、馮郝は楚王に「張儀と親しくするために惠施を粗略に扱えば、天下から軽んじられる」と説き、惠施を宋(惠施を敬愛する国)へ送ることで、張儀にも恩を売り惠施の面目も保つ策を勧めた。
惠施の秦との和議をめぐる駆け引き
- 五国が秦を攻めた際、魏は惠施を楚経由で秦との和議に当たらせようとしたが、杜赫は昭陽に「これでは楚の主戦論を薄め魏の和議を後押しするだけ」と説き、楚は惠施を介さず密かに秦と交渉させた。
陳軫の復権と韓朋への対応
- 張儀に讒言され魏へ去った陳軫について、左爽は「張儀の讒言をそのまま利用すれば、かえって楚へ戻る糸口になる」と説き、陳軫は張儀の言葉を利用して楚に復帰した。
- 秦が宜陽を攻めた際、楚王は「機を見るに敏な韓朋を先に取り込んでおきたい」と考えたが、陳軫は「麋鹿が猟師の罠を見破って利用するように、諸侯もまた偽りの動きで人を欺く。安易に手を出すべきでない」と諫めた。楚王はこれに従い、結局宜陽は陥落した。
唐且、春申君を励ます
- 唐且は春申君に、荊軻や西施の逸話を引きつつ「賽子(親骰子)が単独で勝てないのは、散らばる小駒の助けがあってこそ」と説き、春申君自身が賽子として天下に立つなら、我らを散り駒として用いるべきだと励ました。