甘茂を魏相にする策
- 魏の相・翟強が死んだ際、甘茂は楚王に、公子勁が魏相になれば秦魏の交わりが深まり楚が軽んじられると説き、斉と結んで甘茂を魏相に推挙させれば、斉魏の関係が拗れて魏が楚を頼るようになると献策した。
昭雎、斉秦連合を切り崩す
- 斉秦が楚を攻めようとした際、楚は景翠に六城を斉に贈らせ太子を人質とした。昭雎は景翠に、楚が厚く賂を贈って景鯉・蘇厲を秦へ送れば、秦は楚領を求めず楚と結ぶだろうと説いた。
蘇厲の献策
- 秦が楚を攻め、昭䑕が漢中に十万の軍を置いた際、蘇厲は「秦が公(宛公昭䑕)の兵を分散させようとするなら、辛戎に秦の漢中出兵を阻ませ、兵力を保つべき」と説いた。
桓臧、昭雎を援護する
- 四国が楚を攻め、昭雎が秦に対抗しようとした際、桓臧は楚王に「昭雎の兵を増強して秦に決戦の構えを見せれば、秦は疲弊を恐れて譲歩し、諸侯との関係も定まる」と説いた。
張儀の抑留と釈放
- 楚懐王が張儀を捕らえて殺そうとした際、靳尚は張儀のため楚王の寵姫・鄭褏に「秦王が美しい秦女を張儀の解放と引き換えに楚王へ贈れば、あなたの寵愛は薄れる」と説き、鄭褏は楚王に張儀の釈放を働きかけさせた。
靳尚の裏切りと張旄の利
- 楚王が張儀を釈放しようとした際、靳尚は楚の小臣を使って張儀暗殺を企てたが失敗し、これにより秦楚の関係が悪化、結果として魏の張旄が漁夫の利を得て重用された。
楚王、秦から帰国す
- 秦が漢中で楚を破り楚王を秦に留めた際、游騰は秦王に「楚王を人質に取り天下と共に楚を攻めれば道義に反し、利も得られない」と説き、秦王は楚王と盟約を結んで帰国させた。
東地五百里をめぐる駆け引き
- 楚襄王が太子として斉に人質となっていた頃、懐王の死に際し斉は東地五百里の割譲を条件に帰国を許した。太子(後の襄王)は傅・慎子の勧めに従い割譲を約して帰国、即位した。
- 即位後、斉が東地の引き渡しを求めてくると、慎子は子良・昭常・景鯉の三人にそれぞれ策を出させた。子良は「約束を守り一旦献上した上で後に攻め取るべき」、昭常は「国の要である東地は渡すべきでなく自ら守る」、景鯉は「渡すべきでないが独力では守れないので秦に救援を求めるべき」と、三者三様の策を述べた。
- 慎子は三策すべてを同時に用いるよう進言し、子良を斉へ遣って表向き献上させつつ、昭常を大司馬として東地の守備に当たらせ、景鯉を秦へ送って援軍を求めた。斉が兵を出すと秦が牽制し、斉は攻めきれず、結局東地は保全された。
女阿の仲介
- 女阿は蘇子に、太子(後の襄王)を危うくしているのは蘇子自身であり、太子に恨まれれば不利になると説き、太子と蘇子の和解を仲介した。