戰國策楚策(一)(楚一)

斉楚の争いと宋の中立

  • 斉楚が争い、宋が中立を求めたが、斉に急を助けられたため斉に応じた。子象は宋王に、斉に一時従っても後で必ず急かされる、両大国のいずれかに偏るのは危険だと説いた。

昭陽、五国の秦攻め連合を破る

  • 五国が秦を攻めようとした際、昭陽は楚王に「韓は利を好み難を恐れる、賄賂で利を、脅しで恐れを与えれば連合を崩せる」と説き、その通りに事を運んで五国の企てを瓦解させた。

狐借虎威

  • 楚宣王が「北方が昭奚恤を恐れている」と聞いて真意を問うと、江乙は「虎が狐を食べようとしたが、狐が『私を食べれば天帝の命に背く、私の後についてくれば獣が恐れて逃げるのを見せよう』と欺いた」寓話を引き、実際に北方が恐れているのは王の兵力であり、昭奚恤個人ではないと説いた。

江乙の評

  • 昭奚恤と彭城君が王の前で議論した際、江乙は「二人の言はどちらも善い」とだけ答え、判断を避けた。

邯鄲の難と景舍の策

  • 邯鄲が魏に攻められた際、昭奚恤は「趙を救わず魏を強めれば魏は趙から多くを奪う」と趙不救論を説いたが、景舍は「魏が趙を滅ぼせば楚も憂いを免れない、少数の兵で趙を援け趙魏を戦わせて疲弊させるべき」と反論し、楚はこれに従って救援し、邯鄲は陥落しつつも楚は雎水・濊水の地を得た。

江乙の讒言(一)

  • 江乙は昭奚恤を陥れようと図り、梁の山陽君の封地を求めさせ、昭奚恤が「無功の者に封地を与えるべきでない」と反対したのに乗じて、山陽君と結んで昭奚恤を共に非難した。

昭奚恤の自弁

  • 魏が昭奚恤を楚王に讒言した際、昭子(昭奚恤)は「魏が我々君臣の間に入り込んでいること自体が問題であり、それを許せば自分の立場も危うくなる」と述べ、王は問題視しないよう応じた。

江乙の讒言(二)

  • 江乙は「井戸に落ちた犬を飼い主に告げようとした隣人が、犬に吠えられて近づけなかった」譬えを引き、邯鄲の難で楚が大梁を攻めた際に昭奚恤が魏の宝器を得たことを暴露しようとする者は、いつも昭奚恤に妨げられると述べた。

江乙の諫め(善悪両方を聞くべし)

  • 江乙は楚王に、下が対立すれば上は安泰だが、下が結託すれば上が危うくなると説き、また人の善のみを好んで聞く王の姿勢を「悪も併せて聞くべき」と諫めた。

江乙、安陵君に献策

  • 江乙は寵臣・安陵君に、財や色による寵愛は長続きしないと説き、王への殉死を誓うよう勧めた。後年、楚王が雲夢で狂った兕を射止め「この楽しみを誰と分かち合おうか」と嘆いた際、安陵君は「私が身をもってお供いたします」と涙ながらに答え、王は感激して安陵君を封じた。

楚の風俗をめぐる皮肉

  • 魏の使者として楚に来た江乙は、楚の「人の善を隠さず悪を言わない」という美風に触れつつ、暗に州侯が権勢を専らにしている実情を指摘した。

郢人の獄と昭奚恤

  • 三年決着しない郢人の訴訟を巡り、客が宅地を求めて占おうとしたが昭奚恤に拒まれた。後に昭奚恤はこれを悔い、客に真意を問うた。

城渾の献策

  • 城渾は楚の新城の令に、鄭魏が弱く秦楚の脅威に晒される中、新城を郡の中心とすれば辺境の守りが厚くなると説き、楚王はこれを容れて新城を郡としこれを厚遇した。

鄭申の機転

  • 韓の公叔と太子が国を争う中、鄭申は楚のために新城陽人の地を偽って太子に与え、太子が斉魏の攻撃を受けても楚に頼らざるを得なくなる形を作った。楚王は当初怒ったが、その意図を理解し許した。

杜赫の失敗

  • 杜赫は楚王に趙との結束を献策し五大夫の位を約束されたが、陳軫は「功なくして賞を与えれば効果がない」と指摘し、条件を変えたため杜赫は怒って行かず、計画は失敗した。

范環、秦の相の適任を論じる

  • 楚王が秦の相候補として甘茂の可否を問うと、范環(范蜎)は「甘茂は賢いが、それゆえ秦に賢相を得させることは楚の利にならない」と反対し、代わりに秦王に近しい公孫郝を推した。

蘇秦、楚威王に合従を説く

  • 蘇秦は楚威王に、楚の広大な領土・富強・戦略的価値を説き、「秦と楚は両立し得ない、合従して秦を孤立させるべき」と説得した。楚威王はこれに従い、社稷を挙げて合従に加わった。

張儀、連横を説く

  • 張儀は楚王に、秦の圧倒的な国力を説き、合従は「羊の群れで虎に向かう」ようなものだと批判し、秦が水軍で急襲すれば楚は数ヶ月で危うくなると警告した。蘇秦が結局は齊で車裂きにされた不誠実な人物だったことも引き合いに出し、秦楚が縁組みし互いに攻めない関係を結ぶよう勧めた。楚王はこれに応じ、秦へ使者と貢物を送った。

昭雎・陳軫の追放をめぐる策謀

  • 張儀は秦の相となった後、昭雎に「楚が鄢郢・漢中を取り戻す条件として昭過・陳軫を追放させよ」と持ちかけ、楚王もこれを喜んだ。ある者は、これは秦が楚の有能な謀臣(陳軫)を除き、楚の外交を弱めるための策略に過ぎないと見抜き、昭雎の言を信用しないよう説いた。

莫敖子華、五種の忠臣を語る

  • 楚威王が「先君以来、爵禄に動かされず社稷を憂えた者はいたか」と問うと、莫敖子華は五つの類型を挙げた。
  • 令尹子文──清廉を貫き、私財を蓄えず国事に奔走した。
  • 葉公子高──高位高禄を受けつつ白公の乱を平定し、国境を守った。
  • 莫敖大心──呉との柏挙の戦いで死を覚悟し、自ら敵陣に斬り込んだ。
  • 棼冒勃蘇──郢陥落の急を秦に訴えるため、七日七晩不眠不休で歩き通し、秦の援軍を引き出した。
  • 蒙轂──呉軍の郢侵入時に典籍を守って避難させ、国の秩序回復に大功があったが、封賞を固辞して隠棲した。
  • 王はこれを聞いて「これは古の人物であって今にはいまい」と嘆いたが、莫敖子華は「王が真に賢を好めば、このような臣はいつでも得られる」と答えた。