西太后演義第三十六回 太后、万牲園に行幸し、海晏堂で写真撮らる (萬牲園太后臨幸 海晏堂西女寫真)
榮祿の死と西太后の不機嫌
西太后は栄禄の死を聞いて悲しみ、急ぎ北京へ帰る。出迎えた弟の桂祥に死因を問い詰め、責めるように言い放つと機嫌が直らず、宮女たちにも当たり散らした。徳菱姉妹もその煽りを受けたが、機嫌を損ねるのを恐れ、じっと耐えていた。折悪しく数か月雨が降らず、西太后は斎戒や祈禱を命じたが効果なく、四月にようやく雨が降るとお付きの者たちが太后の徳のおかげと持ち上げ、機嫌が戻った。
萬牲園の行幸
光緒帝を伴い、西太后は動植物を集めた萬牲園(旧三貝子花園)に出向く。各国公使の献上した珍獣奇鳥や、農事試験場に転じた植物園を見て回った。獅子・豹・象・虎などを見物し、虎が痩せているのを見て看守を叱責し、餌を増やすよう命じる場面や、珍しい馬について園総管に由来を問うが答えられず「お前たちは牛馬同然だ」と皮肉る場面などがあった。徳菱もひやひやしながら随行した。動物を一通り見た後、植物園へと移った。
植物園と暢観楼
西太后は歩いて植物園へ入り、葡萄棚や桑畑を見て、養蚕・製糸の重要性を語り、宮中でも自ら養蚕を行っていることを園総管に説いた。暢観楼に登り、老いて息切れする李蓮英をからかいつつ休憩し、茶菓を楽しんだ。
豳風堂と自在荘での昼食
豳風堂の商店で物価や食べ物を尋ね、李蓮英が「宮中の品とは比べ物にならない」と取り繕う様子があった。西太后は自在荘で質素な田舎風の食事を望み、八品程度の膳で后妃らと食事をとった後、舟遊びをして帰城した。
海晏堂と政務
翌日、内務府から海晏堂完成の報告があり、また岑春煊が広西巡撫王之春・提督蘇元春の失政を弾劾する上奏をした。西太后は両名の更迭を命じ、柯逢時を広西巡撫、馮子材を提督に任じることを決めた。さらに経済特科の試験を実施させ、袁嘉谷らが及第したが、後にさほど重用されなかった。商部を新設し慶王の子・載振を尚書に任じ、練兵処を設けるなど新政を進めた。
海晏堂での外国使節夫人の接見
西太后は西洋式に造られた海晏堂を見て満足し、徳菱の描いた図面通りに完成したことを喜んだ。各国公使夫人を招いて宴を催し、徳菱が通訳を務めた。その中で米国公使夫人に伴われた若い女性「ミス・カール」が、西太后の肖像画を描いてセントルイス博覧会に出品したいと願い出る。西太后は最初戸惑ったが、徳菱の取りなしもあって承諾し、吉日を選んで海晏堂で肖像を描かせることにした。
評語
著者は、司馬相如の上林賦が奢侈の誇示ではなく諷諫の意図を持っていたことに触れ、本回の萬牲園の描写も実見に基づく諷刺であると述べる。国庫が窮乏し民が飢えているのに無用の禽獣を養い、儀鑾殿焼失後に建てた海晏堂も莫大な費用を要した。禽獣も土木もやめるべきをやめず、民の膏血が尽きても上の欲は尽きない有様を、貧を救おうとして逆に貧を招く矛盾として批判する。新政の記述も皮肉を込めた筆致であるとする。