西太后演義第十四回 同治帝、微行して遊興、円明園再興を諫止さる (同治帝微行縱樂 圓明園諫阻興工)

親政後の両太后

  • 親政後、東太后・西太后には尊号が加えられた。東太后は安穏に過ごしたが、西太后はなお朝政を監視し続け、同治帝が実母(西太后)よりも嫡母(東太后)に親しむ様子に不満を募らせていた。左宗棠の甘粛平定などで天下は概ね平穏であった。

微行と側近の煽動

  • 同治帝は側近の宦官・文喜と桂寶にそそのかされ、「親政したのだからこそ自在に振る舞える」との詭弁を真に受けて、密かに宮を抜け出し街の妓楼に通うようになった。漢人女性を後宮に入れられない祖制の代わりに、かつて咸豊帝が円明園に「四春」を住まわせた故事を持ち出され、同治帝は円明園の再建を思い立った。

円明園再建をめぐる紛糾

  • 同治帝は内務府に円明園の重修を命じる諭旨を発した。御史・沈淮の諫言は退けられ、恭親王も態度を明確にしなかった。財源がないまま工事が難航する中、李蓮英を通じて西太后に取り成しを頼み、西太后自身も円明園再建には内心賛成であったため、「倹約して急がずに」との条件付きで工事は続けられた。
  • 工事が進まぬまま、同治帝はさらに微行を重ね、恭親王の長男・貝勒載澄に誘われて南城の娼家に通うようになり、放蕩は深まった。載澄は褒賞として郡王銜を得た。

日本使節の来朝と工事中止

  • 台湾での日本人漂流民殺害事件を発端に日本が出兵し、後に交渉により撤兵。日本使節・副島種臣が来朝し、跪拝礼を巡る交渉の末、無事に謁見が行われた。
  • 円明園工事は一向に完成せず、御史たちは恭親王に諫言を頼み、姚御史百川の提案で「三海(西苑)の修復に規模を縮小する」案が浮上。李蓮英への働きかけを経て、恭親王が奏上し、圆明園工事は中止、代わりに三海の修復に切り替える諭旨が下った。

恭親王の降格と復位

  • 恭親王が李蓮英を通じて西太后の許可を得て、同治帝に圆明園中止の詔を無理に承認させたことに同治帝は恨みを抱き、翌朝、恭親王の親王世襲の資格を剥奪し郡王に降格、載澄の貝勒郡王銜も剥奪する硃諭を発した。しかし西太后がこれに介入し、恭親王・載澄の位を元に戻す諭旨が改めて下された。同治帝は親政とはいえ太后には逆らえず、屈辱を呑み込んだ。

桂慶の諫言

  • 内務府の旗員・桂慶が同治帝の放蕩を厳しく諫め、宦官の処罰と両太后の監督強化を求める上奏を行ったが、同治帝はこれに激怒し、厳罰を加えようとするところで回は終わる。

評語

本回は表向き同治帝を描いているが、暗に西太后を批判している。同治帝は西太后の実子であり、その教育の責任は西太后にある。朝政に目を配りながら実子の微行を知らぬはずはなく、それを正さず放任したのは、我が子の不行跡を黙認したに等しい。円明園の再建も無益有害な事業であり、同治帝は寵姫のため、西太后は自らの享楽のために築こうとした点で、両者の遊興を求める心は根を同じくする。文喜・桂寶・李蓮英らはいずれも国を誤らせる小人であり、母子ともにこれを寵愛したことに、その惑いの深さが見える。桂慶の上奏はまさに核心を突いたものであった。