西漢演義第九十七回 四皓は羽翼となり太子を定める (四皓羽翼定太子)
帰還と論功
負傷から回復した帝は吳臣を忠毅侯に封じ、吳芮に江夏の守備を命じ、劉仲の子・劉濞を呉王として江東に配した。
沛への帰郷
十一月、帝は魯を経て孔子廟に太牢の礼を捧げ、故郷の沛では旧知の父老と再会し、大宴を催した。有名な「大風起兮」の歌を詠み、望郷の情を涙とともに語り、沛県を湯沐邑として租税を免除した。関中に戻ると呂后・太子・戚姫らが出迎え、天下は安定した。
太子廃立の動き
帝の戚姫への寵愛が募る一方、呂后は嫉妬を深めていた。戚姫は病がちな帝に「後継を早く定めてほしい」と訴え、帝は自ら趙王如意への立太子替えを約束した。その最中、呂后が戚姫の宮を訪れ、帝が眠っているのに起立しなかったことを激しく罵り、「陛下亡き後は汝を粉々にしてやる」と脅す一幕もあった。帝は目覚め、戚姫を慰め、太子を廃立する方針を群臣に諮ることを約束した。
呂后の対抗策と商山四皓
呂后は張良に策を求め、張良は「帝が招聘に応じなかった商山の四賢人(東園公・綺里季・夏黄公・角里先生)を太子の後見に迎えれば、帝もあきらめる」と献策した。呂后は厚礼を尽くして四皓を招き、彼らは太子の仁徳を慕って下山し、太子に仕えることとなった。
太子廃立の断念
群臣は叔孫通・周昌らを筆頭に太子廃立に強く反対、晋の驪姫や秦の扶蘇の故事を引いて諫めた。帝が太子の傍らに四皓が付き従っているのを見て驚き、事情を聞くと「太子の仁徳を慕って仕えることにした」と答えられ、帝は太子の地位が揺るがぬものと悟った。戚姫にこれを告げると、姫は涙し、帝は如意を良い地に封じることでその将来を守ろうと約束した。詳細は次回に語られる。