西漢演義第九十六回 淮南王英布は漢に背く (淮南王英布反漢)

英布の挙兵

英布は使者を斬った後、二十万の兵を集めて挙兵した。麻衣の孿布が「韓信・彭越が誅殺された今、次はあなたの番だ」と煽ると、費赫は「まず山東に地盤を築いてから戦うべき」と慎重策を説くが、英布は聞き入れず退けた。英布軍は東の呉、西の上蔡を攻略し、劉交を捕らえ劉賈を斬るなど勢いを増した。

薛公の分析

帝は諸将と対応を協議し、汝陰侯滕公の推薦で楚の令尹薛公に意見を求めた。薛公は英布の取りうる上・中・下の三策を挙げ、「英布は驪山の徒あがりで深謀遠慮がなく、目先の利しか考えない」として必ず下策(呉・上蔡を取って長沙に籠る安易な策)を採ると予測、帝はこれを喜び自ら東征に赴いた。

蘄西の戦い

大漢十二年冬十月、帝は蘄西で英布軍と対峙、薛公の予測通りの展開に笑みを見せた。英布は王陵と一騎討ちとなり、「韓信・彭越が殺された今、次は我らの番、共に義に立つべき」と説くが、王陵は取り合わず交戦、灌嬰・周勃の加勢もあって英布軍は敗走した。追撃中、孿布が彭越の仇として放った矢が帝の右肩に命中し、帝は落馬したが大事には至らなかった。

反撃と英布の敗走

帝は負傷を隠し、陳平の策で数日出陣を控えて英布を油断させた。英布が夜襲を企てた隙に、曹参が糧道を絶ち、灌嬰が英布の家族を捕らえ、紀通が本営を急襲、周勃が渡河点を固めるという包囲網が完成、英布軍は総崩れとなり、英布はわずかな手勢で江を渡り呉の吳芮を頼って落ち延びた。

英布の最期

吳芮の甥・吳臣はかねて英布に辱められた恨みから、叔父の留守に乗じて英布を歓待するふりをして酔わせ、深夜に武士を率いて暗殺、首級を漢帝に届けた。陳平は「非業に斬られた首級は災いをもたらす恐れがある」と検分を諫めたが、帝は意に介さず首級を見て罵倒したところ、異変が起こる。詳細は次回に語られる。