西漢演義第九十八回 漢帝は如意を趙王に封ずる (漢帝封趙王如意)
如意、趙王に封じられる
帝は戚姫に、邯鄲の地の豊かさと要害を理由に如意を趙王として建都させ、遠く関中から離すことで難を避けさせようと提案した。群臣の同意を得て、輔佐役には御史大夫周昌が選ばれた。周昌は引き受ける条件として「朝廷に再入朝しない」「謙虚に自制する」「戚姫との音信を控える」の三事を求め、帝はこれを認めて手勅を与えた。如意は戚姫との別れを惜しみつつ邯鄲へ旅立った。
蕭何の投獄と赦免
蕭何が上林苑の空地を民に開墾させたことを、私利のためと讒言する者が現れ、帝は激怒して蕭何を投獄した。王衛尉が「民のためを思う行いこそ宰相の務め、陳豨・英布の乱の間、関中を守り抜いた功を忘れてはならない」と諫言し、帝は自らの過ちを認めて蕭何を赦免、讒言者を処刑した。
張良と四皓の隠棲
蕭何の投獄を知った張良は、韓信・彭越・英布の粛清や太子擁立への関与から身の危険を感じ、四皓と共に帝に暇乞いを申し出た。「太子は仁孝で継承にふさわしく、自分たちは老いて役に立たない」と述べ、終南山への隠棲を願い出た。帝は名残惜しみつつこれを許し、贈り物をして見送った。
功臣閣の建立
張良の引退を機に、帝は開国以来の功臣を偲び、その姿を描いた功臣閣を建立した。太子と共に閣を訪れ、紀信・夏侯嬰らの功を語り合い、二人の子孫に重賞を与えた。人々は太子の仁徳を讃えたが、その場に「自分の父の功が忘れられている」と訴える人物が現れる。詳細は次回に語られる。