西漢演義第九十二回 漢の高帝は邯鄲に馬を駐める (漢高帝邯鄲駐馬)

邯鄲への進軍

帝は蕭何・呂后に留守を託し、邯鄲に至って陳豨軍の情報を集めた。陳豨が要衝の邯鄲や漳河を抑えず曲陽に屯兵していると知り、帝はその見識の浅さを見抜いた。周昌に命じて地元の壮士四人を道案内として選ばせ、褒賞と引き換えに敵情視察を命じた。

内応工作

四壮士は陳豨軍の将佐が金銭に弱い商人あがりであることを探り、帝は隨何を遣わして偽の招降交渉をさせつつ、その裏で黄金を用いて諸将を買収させた。陳豨は帝の招降が本心でないと見抜きつつ交渉に応じるふりをし、隨何はその間に将佐たちを金で懐柔することに成功した。

決戦

翌日、帝自ら出陣して陳豨と対峙、陳豨は「陛下は功臣を誅殺する残忍さが亡秦・項羽と同じ」と反論、帝は激怒し樊噲・周勃を差し向けて交戦させた。陳豨軍は劣勢となるが、買収されていた劉武らは戦わず退散、しかし陳豨があらかじめ設けていた伏兵陣により漢軍は一時的に打撃を受け、両軍は日没とともに兵を収めた。

攻防の駆け引き

翌日、王陵は「陳豨の用兵は韓信を模しており侮れない、兵糧の不足もあるので一旦邯鄲に退き態勢を立て直すべき」と進言、帝はこれに従い、伏兵を左右に配して偽装退却を行った。陳豨は帝の老練さを見抜き、伏兵を警戒して追撃を控えたため、両軍はにらみ合いの膠着状態となった。

韓信のさらなる謀

出征に従わなかった韓信は、陳豨が曲陽に留まったことを見て「邯鄲・漳河を抑えるべきだったのに」と評し、密かに陳豨へ書を送って精鋭に間道から長安を襲わせ、自らも呼応して挙兵し、帝を挟撃する策を授けた。その顛末は次回に語られる。