西漢演義第九十一回 陳豨は趙代を監し謀反を企てる (陳豨監趙代謀叛)

太子廃立の撤回

周昌が「絶対に詔には従えない」と強く諫めたことで、帝は太子廃立を諦めた。戚姫には「後日ゆっくり図ろう」となだめた。

陳豨への出征命令

代州が匈奴に侵され、危急を告げる報が相次ぐ中、陳平は「英布・彭越は遠く、韓信は兵権なし、相国の陳豨こそ適任」と推挙し、帝は陳豨に十万の兵と韓信の旧兵器を与え、成功すれば代王に封じると約束して出征させた。

韓信の煽動

陳豨は出発前、恩義ある韓信を訪ね策を求めた。韓信は「あなたの功も、破番の後には私のように用済みにされる」と焚きつけ、「あなたは精兵の地を治め帝の信任も厚いから、謀反の噂が立っても帝はすぐには信じない。その隙に兵を集め、私が内応すれば天下を図れる」と密約を結んだ。

番兵の撃破

陳豨は趙代に至り、偵察により敵将哈廷赤の武勇と布陣を把握、計略を巡らせて番王を挑発し、陳豨自ら偽って敗走を装い敵を渓谷に誘い込んだ。増水した渓流で退路を断たれた番兵は伏兵の攻撃を受け、哈廷赤も討ち取られた。さらに老営と糧車を焼き討ちにされた番軍は総崩れとなり、陳豨は四十万の番兵を破る大勝利を収めた。

陳豨の謀反

祝宴の席で陳豨は諸将に、「韓信ほどの功臣も用済みにされ害されようとしている、漢帝とは苦楽を共にできない」と説き、この地に留まって兵を蓄え天下を図ることを提案、諸将も同調した。同年七月、陳豨は王黄らと結び自ら代王を称して趙代を侵略した。

韓信の裏工作と英布・彭越の様子見

西魏王の報告で謀反を知った帝は、英布・彭越に討伐を命じるよう蕭何に勧められる。一方、韓信は密書を送り、両者に「陳豨討伐に成功すれば漢帝はすぐに二公を殺すだろう、苦楽を共にできない主君の性分を知れ」と警告し、両者はこれを受けて病と称し出兵を拒んだ。

帝の親征決定

陳平は陳豨謀反の三つの背景(韓信失脚による慢心、帝の厭戦、趙代の精兵の存在)を分析し、帝自ら親征すべきと進言、帝はこれを採用した。出征前、呂后に留守を託し、韓信の動きへの懸念を漏らすと、呂后は「今の韓信は兵権なき一匹夫に過ぎない、造反の証があれば容易に始末できる」と請け合った。