三國志卷三十四 二主妃子傳第四 甘皇后

先主の側室と後主の生母

  • 先主甘皇后は沛の人。先主が豫州刺史として小沛に住んでいた頃、妾として納れられた。先主はたびたび嫡室を喪っていたため、后が常に内事を取り仕切った。荊州に随行し後主を産んだ。曹公軍が至り当陽の長坂で先主に追いついた際、危急のうちに后と後主は置き去りにされたが、趙雲の保護を得て難を免れた。后は後に卒し南郡に葬られた。章武二年(222年)、皇思夫人と追諡され蜀へ改葬されることとなったが、到着前に先主が崩じた。丞相諸葛亮は上言し、皇思夫人が篤い仁と慎み深さを備え後主を生んだ功を述べ、『礼記』の「立愛は親より始め、立敬は長より始む」との義や、漢の高皇帝が太上昭霊夫人を追尊した例、孝和帝が母梁貴人を恭懐皇后と改葬した例、孝愍帝が母王夫人を霊懐皇后と改葬した例を引き、太常賴恭らと諡法を案じて「昭烈皇后」と諡すべきこと、また上古には合葬の礼はなかったが中古以降行われるようになったとして、昭烈皇后を大行皇帝(先主)と合葬すべきことを奏請した。詔して「可」とされた。