三國志卷三十四 二主妃子傳第四 穆皇后

呉壱の妹

  • 先主穆皇后は陳留の人。兄の呉壱は若くして父を失ったが、父がもと劉焉と旧交があったため一家を挙げて焉に随行し蜀に入った。焉は野心を抱いており、善相者が后を大貴の相と占ったのを聞き、子の劉瑁に随行させていた縁で后を瑁に娶らせた。瑁の死後、后は寡居していた。先主が益州を定めると、孫夫人(先主の呉出身の妻)が呉に還った。群下は先主に后を娶るよう勧めたが、先主は瑁と同族であることを憚った。法正が「親疎の遠近でいえば晋の文公と子圉の関係にどれほど及ぶだろうか」と進言したため、先主は后を夫人として納れた。建安二十四年(219年)、漢中王后に立てられ、章武元年(221年)夏五月、皇后に立てる策が下された。建興元年(223年)五月、後主即位に伴い皇太后に尊ばれ長楽宮と称された。兄呉壱は官が車騎将軍に至り県侯に封ぜられた。延熙八年(245年)、后が薨じ恵陵に合葬された。