三國志卷十一 袁張涼國田王邴管傳第十一 張範

出自と処世

  • 張範、字は公儀。河内脩武の人。祖父歆は司徒、父延は太尉。太傅袁隗の娘との縁談も辞退し、恬静を好んで栄利に淡白であった。弟の張承(字公先)は董卓誅殺を企てたが、弟の張昭の助言で思いとどまり、範と共に揚州へ避難した。

袁術との問答と太祖への帰服

  • 袁術に招かれても病と称し赴かず、承を代わりに遣わした。術の覇道への野心を問われた承は「徳による」と答えて術を不快にさせ、太祖の冀州出征を侮る術には「漢の天命は未だ改まらず、曹公は天子を奉じて令する」と反論した。
  • 太祖の冀州平定後、範は招かれて諫議大夫となる。息子陵と承の子戩が賊に捕らえられた際、範は自ら賊のもとへ赴き、「戩の幼さを憐れむ」として自分の子との交換を申し出、賊はその義に感じて両者とも返した。以後、太祖の遠征には邴原と共に世子の守りを任され、文帝は「重要な決定は必ずこの二人に諮れ」と太祖から言われた。窮乏者への施しを絶やさず建安十七年に没した。承もその後まもなく長安への出征途上で病没した。