三國演義第七十九回 兄は弟を逼め曹植は詩を賦し、甥は叔父を陥れ劉封は法に伏す (兄逼弟曹植賦詩   姪陷叔劉封伏法)

曹彰の帰順

  • 諫議大夫賈逵の説得で曹彰は疑いを解き、軍権を曹丕に渡して自国へ帰る。曹丕は王位に就き、建安二十五年を延康元年と改元、賈詡・華歆・王朗らを重用する。

于禁の憂死

  • 曹操の陵墓管理を任された于禁は、壁画に描かれた「関羽の水攻めで捕虜となり命乞いする自分の姿」を見せられ、恥辱のあまり病を得て死去する。
  • (詩:于禁の不忠を非難する内容)

曹熊・曹植への処罰

  • 弔問に来なかった曹熊は罪を恐れて自殺、曹植は丁儀・丁廙兄弟と酒に溺れ使者を追い返す無礼を働き、許褚に捕らえられる。丁儀・丁廙は処刑される。

七歩の詩

  • 母卞氏の嘆願を受け、曹丕は曹植を試すため「七歩で詩を作れねば処刑する」と命じる。曹植は牛の絵を題に即座に詩を作り、さらに「兄弟」の語を使わずに兄弟の題で即興の詩(豆と豆殻の比喩で兄弟相克を詠む)を作って曹丕を涙させる。
  • 母の取りなしもあり、曹植は死罪を免れ安郷侯に貶される。

劉封・孟達の末路

  • 劉備は関羽父子の死の責任を問い、孔明の献策で劉封・孟達をまず郡守に転任させて分断を図る。彭羕が孟達に密書を送ろうとした企てが露見し、彭羕は謀反の疑いで獄死する。
  • 孟達は身の危険を感じ、上庸の申耽・申儀兄弟の勧めで魏に降る。劉備は激怒するが、孔明の策で劉封を派遣して孟達と戦わせ、共倒れを狙う。
  • 孟達は魏に迎えられ、劉封に降伏を勧める書を送るが劉封は拒絶。戦端が開かれるも劉封は夏侯尚・徐晃らの伏兵に大敗し、申耽・申儀にも裏切られて成都へ敗走する。劉備は「なぜ孟達の讒言に惑わされたのか」と劉封を叱責し処刑する。
  • 劉備は後にこれを悔い、関羽への哀悼もあって病に伏し、しばらく用兵を控える。

禅譲への布石

  • 曹丕は先祖の地・沛国譙県を巡幸するなど威勢を強める。夏侯惇の病死を経て、鳳凰来儀・麒麟出現・黄龍出現などの瑞祥を口実に、群臣が漢帝に禅譲を迫る動きが始まるところで回を終える。