三朝北盟會編炎興下帙 紹興三十一年 1161年

正月 和州進士何送英の上書

  • 和州の在野の進士何送英が上書し、朝廷に金への警戒と反攻を強く訴えた。秦檜による言論統制以来、忠臣義士が沈黙を強いられてきたと批判し、母の喪中でありながら国家の危急を看過できず上書に及んだ経緯を述べた。
  • 現状を「憂うべきこと三」「惑うべきこと三」「寒心すべきこと三」「痛哭すべきこと三」「勉むべきこと三」「賀すべきこと三」に分けて論じた。
  • 憂うべき点として、東南一隅に偏った守りしかなく無防備であること、良将・勇士が用いられず衰えつつあること、和議による屈辱外交が民心を動揺させていることを挙げた。
  • 惑うべき点として、機を見て先手を打つべきなのに逡巡していること、避難用の御舟建造など弥縫策に終始していること、事態が悪化してから対処しようとしていることを批判した。
  • 寒心すべき点として、張浚・劉錡ら功臣が冷遇されている実態、和議固執派がなお和議を正当化していること、臨安遷都で要衝を離れたことを挙げた。
  • 痛哭すべき点として、欽宗(淵聖皇帝)が三十年にわたり金に抑留されたままであること、祖宗の陵墓が金の領内で荒廃していること、宗室・宮人が金の手に落ち辱められた惨状を挙げた。
  • 「勉むべきこと」として、建康(金陵)への遷都と張俊・劉錡ら旧将の復権・出兵を提言し、「賀すべきこと」として、天の時・地の利・人の和が揃った今こそ北伐の好機であると鼓舞し、文王・武王の「一怒して天下を安んず」故事を引いて決起を促した。
  • 末尾で、この上書が私見ではなく天下の公論であるとし、採用されなければ斬首も辞さないとの覚悟を示して結んだ。