李綱の奏(続)―公選人材
- 中興の主にはとりわけ卓越した人材が必要であるとし、武王の八凱、宣王の吉甫・方叔・召虎、高祖の三傑、光武の鄧禹・耿弇・賈復、太宗の房玄齢・杜如晦らの例を挙げた。優れた人材ほど小人の嫉視を受けやすく、讒言や朋党の疑いで退けられがちであると指摘し、陛下即位以来「正人端士」とされる者が用いられずにいる現状を憂え、魏徴が太宗に遺した「愛憎に惑わされず、憎む者の善、愛する者の悪も見極めよ」との遺言を範とすべきと説いた。管仲が仇敵斉侯に用いられ、雍歯が漢高祖に怨まれつつも賞された故事も引いた。
変革士風
- 士風の淳厚・浮薄が国政の是非・賞罰の当否を左右するとし、晋の浮虚な士風が石勒・劉曜の禍を招いた例、宋の元祐年間に司馬光ら正論の臣が奸党とされ排斥され靖康の変につながった経緯を批判。近年の張俊が功績あるにもかかわらず讒言で大悪人扱いされかけた例を引き、風聞による弾劾は事実の確認を経てから行うべきだと説き、賈誼・陸贄の故事を範として忠厚な士風への転換を求めた。
愛惜日力
- 国家の大業は事前の「規模」(構想)と地道な「積累」(蓄積)があってこそ成るとし、高祖と韓信、光武と鄧禹、蜀先主と諸葛亮がそれぞれ談笑のうちに大計を定め、以後数年で覇業を成した例を挙げた。即位九年にして中興が進まぬのは、初めに規模を定めず日々の些事に追われ、攻守の大計を疎かにしてきたためだとし、医者が病を皮膚のうちに治すべきとする喩え、『詩経』の「天の未だ陰雨ならざるに桑土を徹す」の句を引いて、時機を逃さぬ計画的な政治運営を求めた。
務尽人事
- 天と人の道は一致するとし、光武の昆陽の勝利(人事を尽くした上で雷雨の天佑を得た)、孫権の赤壁の勝利(人事の上に順風の天佑)、謝安の淝水の勝利(人事の上に秦軍動揺の天佑)を挙げ、人事を尽くさずして天佑のみを望むのは筋違いであるとし、敵来襲時にまず退く姿勢を戒めた。
寅畏天戒
- 天譴(災異)は父母が子を戒めるが如きものとし、孔子が『春秋』に災異を記録した意義を説く。近年の熒惑失次・太白昼見・地震・水害・異常気象・正月朔日の日食などはいずれも天の戒めであるとし、詔による形式的な対応でなく、真に至誠をもって政事を正すべきだと説いた。
李綱の結び―改過を恐れぬこと
- 李綱は、聖人は多難を恐れず「難無きこと」こそ国を滅ぼすと説き、少康が一旅の兵で夏を再興した故事、光武・太宗が自ら危険を冒して太平を築いた故事を引き、人材・兵力・財源に不足のない今こそ旧来の路線を断固改めるべきだと論じた。張良が高祖の六国復封策を止めさせた故事、魏徴が太宗を厳刑主義から仁義の政へ転じさせた故事を引き、過ちを改めることを恥じるべきでないとし、皇帝が親征の詔で自ら過去の失策を悔いたことを「盛徳の挙」と称えた。周室中興の詩(文武の将、吉甫・方叔・張仲ら賢臣による内治外征)を範とすべきと結び、自らの拙い意見の採否は聖裁に委ねると述べた。
李綱の謝表
- 李綱は、退けられて久しい身に諮問を賜ったことに感激し、秦が黄髪の老臣を思って覇業を成した故事、漢が群材を屈して帝業を立てた故事を引き、自らの浅学を顧みず至誠をもって条陳した旨を重ねて謝した。
秦丞相檜の意見―虚張も太怯も戒める
- 秦檜は、靖康以来「主戦」「主和」の議論が対立してきたが、いずれも実情に即さぬ極論だと述べた。宋襄公の図霸や斉湣王の称帝が虚勢により国を滅ぼした例、逆に孔子が魯をもって斉に対抗し、子産が鄭をもって晋楚の間で気概を示した例を引き、極端な弱腰も虚勢もともに戒めとした。
- 湯王・文王も已むを得ぬ時のみ兵を用いたのであって虚勢を張らなかったこと、漢高祖・光武・唐太宗もその時々の実情に応じて強弱を計った例を挙げ、これまで宋が金に対し三鎮を安易に割譲したのは「太怯」であったが、劉豫が事を起こした今こそ、正理に基づき機に乗じて動くべき時だと説いた。
- 具体策として、捕らえた金兵を厚遇し、諸将を通じて金の将帥に書を送り「討つのは叛臣劉豫のみであり、大国(金)に敵対する意図はない」と明言させることを提案。これにより虚勢を張らずとも味方の士気を高め敵の結束を崩せるとし、陳恆弑君の際に孔子が討伐を求めた故事に照らし、臣たる者が逆賊劉豫を討たずして三綱は成り立たないと論じた。
- 金が劉豫を立てたのは河朔防衛の緩衝とするためであり、河南の地そのものに固執しているわけではないとし、河南回復は金との全面衝突を招かぬと分析。あわせて二聖奉迎の要求も引き続き行うべきとした。
- 攻戦・守備・措置・綏懐の四点についても、夾河(黄河沿い)の諸軍を南北に分置して藩籬とすること、捕虜となった金兵を厚遇して各々の本来の帰属先へ丁重な書状とともに送り返すこと、朝廷の意図が劉豫討伐のみにあり金への敵対でないことを示すこと、劉豫配下でも脅従の者は問わず主謀のみを罰する方針を示すことなどを提言し、兵器・軍糧・地形などの実務は現場の将帥・有司の判断に委ねるべきとして意見を結んだ。