布衣呉伸、万言書を上る
- 十二月一日、無位無官の呉伸が上書した。斉の王蠋が節を守って死んだ故事を引き、大国たる宋に忠義の士が少ないことを嘆き、自らの至誠を尽くすとして長文の上奏を行う。
- 呉伸はまず、陛下に孝弟・湯武の徳・堯舜の倹約・雷霆の威がありながら、(一)二帝がなお還らず、(二)敵国の侵陵がやまず、(三)国土が日々削られ、(四)国用が豊かにならず、(五)盗賊の勢いが収まらない、という五つの矛盾を指摘する。
- その原因として、使者派遣の非効率(趙の故事を引き、有能な使者一人の言葉が数十万の兵に勝ると説く)、敵に対する過度の恐れ(苻堅を退けた謝玄の故事)、藩屏行政の軽視、屯田による軍糧自給の不足(鄧艾の淮南北屯田策を範とすべき)、盗賊への威嚇不足(宓子賤の故事)を挙げる。
- 続けて、劉豫の偽斉こそが最大の脅威であると説く。金が中原を劉豫に委ねたのは「中原を以て中原を攻める」策であり、いずれ劉豫が独自に勢力を固め、南北朝の隋・陳のように呑併に至ると警告する。劉豫は科挙や学校で人材を誘い、南宋軍中の兵糧不足につけこんで河北・山東出身の兵士の望郷心を煽り、通商の自由化を利用して間諜を放っていると分析する。
- 天象(彗星の出現、その位置が敵にとって不利であること)を吉兆とみなし、今こそ劉豫討伐の好機であると説く。
- 都は東南(呉越の地)に長く根付いた王朝がないことを歴史的に論じ、いずれ建康へ進出すべきとする。
- 最後に、自らを酈食其・唐儉のような「死間」として偽斉へ送り、内応工作の末に討伐の軍を起こすことを願い出て、忠義のためならば誅殺も厭わないと結ぶ。
牛臯・李横、金軍を破る
- 牛臯・李横・董先は汝州・潁昌府で金軍と戦いこれを制圧した。潁昌府では、劉豫に殺された凌唐佐の妻田氏を保護したが、朝廷が姪孫を迎えに送る前に李成に地域を奪われ、田氏は再び偽斉領に取り残された。唐佐には敷文閣待制が追贈された。